Tokyo Submarine Airport 1999-2006 03

 「あなたは誰?」少しだけ強くなった夢の中で彼女は僕に言った。

 「心配しないで。僕はキミの心の殻をとかしに来た。」そして僕は彼女に『心の殻と魚たちと湖』について話した。彼女は少し魚を心配したけれど僕は、それはもう大昔から決まっている事なのだと教えた。彼女は少し安心したようだった。
 
 問題は僕がどうやって具体的に彼女の夢から地上へ抜け出すかという事だった。海の底で、僕は人の夢に入る事について調べつくし、ようやく入る事が出来た。でもいったん入った夢から地上に出る事はとても難しいように思われた。夢に入り海に戻る。これは簡単だ。眠ればいいだけ。でも実は人の夢に入る事は重大な違反行為で、その理由は夢から海に戻るとその歪みで周囲の夢が破壊あるいは改変されるためだった。海に住む者たちが人々の夢を変えてしまう事は絶対に許されない行為なのだ。海に戻った途端に捕まるのは目に見えていた。
地上に出る方法は結局良くわからなかった。希望は彼女が何らかの方法で僕を地上に連れ出してくれるという事だけだった。それには彼女の信用を得なければならない。
 
 僕は心の殻を取り出す仕事をした事が以前あった。飛行気乗りになる前に工場で働いていた時だ。夢を運ぶ前に、その夢に心が入っている時は、心だけ保管するのが決まりだった。心は飛行機の燃料となった。でも加工するためには殻を取り除く必要があったのだ。
僕が工場で働いていた時取り除いていたのはゴム系の殻で、心はじっとしていて扱いやすかったし、何も考えなくて良い流れ作業だった。次から次にトレイに入れられた心のゴム系の殻をするりと剥いで、もう一度トレイに入れた。まれにその殻が最後の殻で、心が見える事があった。大抵は柔らかく暖かい色で光っていた。
僕のナイフは全てのタイプの心の殻を取り出す事が出来るものだったけれど、実際夢の中でその作業をするのは少し不安だった。それはスーパーの惣菜コーナーで働いていた人が、突然ジャングルで動物を捕って生活しろと言われたようなものだった。心がアクティブなのだ。じっとしていてくれない。でもそれには僕の存在がかかっていた。やるしかなかった。
 「これがキミの心の殻だ。」夢の中の心を見つけ出し、やっとの事で1つ目の殻を切り出した僕は彼女を夢の中に起こし、言った。
 「ふうん。これは悲しみ?」
 「そうかもしれない。でも、大抵の殻には色々な感情が混ざっているんだよ。」
彼女は少し考えていた。
 「少し軽くなった気がする。けど、悲しみでも何でも取っておくのは大切な事じゃない?取られちゃうとなんか嫌だな。」今度は僕が考える番だった。
 「でもさ、どんな殻でもずっと放っておくと力を持ち始めて、やがて夢と一緒になって内面だけの世界を作っちゃうんだよ。キミはその世界にどんどん移る。 何せキミが作った世界だから、居心地がいいんだ。でもその世界は本当は矛盾だらけで、そのうち脳が耐えられなくなってどちらの世界にせよ死んじゃうんだ。ものすごくたまに、作られた世界が完結していて、永遠にその世界を旅する人もいる。時間が引き延ばされるんだ。でもそれはまれで、大抵は崩壊して、まあ何て言うか、」ふう。
 「頭のおかしい人になっちゃう。」その通り。でも正確にはちょっと違う。まあいいや。
 「うん。つまり、」
 「つまり、心の殻は取らなくちゃいけなくて、 あなたはそれが仕事なのね。」
 「うん。そんなところだね。僕はこれを沈めに行くよ。また明日会おう。」
 「待って。今日は新月じゃなくて三日月よ。何かが切れそうなくらいの三日月。心の殻を沈めに行くのは新月の時でしょ?」そうだった。僕が彼女の夢に入った時すでに新月は過ぎていたのだ。すっかり忘れていた。彼女は頭が切れるのだ。普通新月がいつか何て気付かないし、夢の中じゃちょっとした矛盾なんかは簡単に無視されるのだ。当然僕は海には行けないし。
 「うん…
 ごめん。確かに僕はキミの心の殻を沈めには行けないよ。ウソついてごめん。本当に。殻は僕のものにさせてもらう。キミから遠ざけるために。」僕は怒ったような顔の彼女を、首をすくめて見た。
 「名前は?」彼女は突然言った。
 「えっ?」僕は一瞬何の事かわからなかった。
 「あなたの名前よ。」
 「僕か。名前か、いいや。名前なんてキミが決めていいよ。ところでキミの名前は?」
 「あなたは私の名前も知らずに心の殻を取り出したの?それに自分の名前も言わないで人に名前を聞くなんて失礼でしょ?それに、」
 「ごめん。僕に名前はテラ。キミの名前もホントは知ってる。キミから聞いてみたかっただけなんだ。」彼女は少しそれについて考えているようだった。僕はまた首をすくめた。
  「じゃあ、テラ君、あなたはなぜ私の夢の中にいるの?」僕はできるだけ簡単に、事実を言う事にした。これ以上嘘はつきたく無かったし、疲れるだけでほとんど意味が無いのだ。そして彼女は僕を何か異質のものとして認識している。
 「うん。確かに僕はキミのイメージじゃない。つまり、キミが夢の中に作り出したものじゃない。僕はキミに地上に出してもらおうと思ってここにいるんだ。時間もあまり無いんだ。夢はいつ運ばれてしまうかもわからない。」
 「よくわからないけど、あなたは地下に住む人で、私の夢に勝手に入ったのね?」
 「うん。いや、正確には海だよ。夢や心を扱うものたちの住む土地だよ。」
「ふうん。」
 「キミはそろそろ起きる時間だ。キミが起きてる間、僕はキミの夢の構造をコンピューターで調べる。今も調べてるんだけどね。もう少しでタイミングが見つかるはずなんだ。」彼女は今までの会話について色々考えているようだった。これは夢なのかしら、それともなんなのかしら。という風に。
 「私はどうすればいいの?」
 「たぶん、普通にしていてくれればいい。僕にもわからないんだ。また明日夢で会おう。」
「あのね、私はミウラユカ。まだテラ君の事がよくわからないけれど、何か困ってるってことはわかるわ。そういう人をほっとけない性格だし、テラ君が悪い人でないことはわかるの。でもずいぶんあなた一方的だし、説明も不足してると思う。」
僕は言葉に詰まった。
「でもまあわかったわ。今は急いでるのね。」
「そう。ありがとう。悪いけど、うん、急いでる。」
 彼女が起きても、夢運びが来ない今では、夢は彼女の中に存在していた。僕はコンピューターに入っているこれまでの彼女の夢に関するデータを呼び出して、今の夢と比較してみた。彼女の夢は僕がさっき切り出した心の殻と同じように、かなりの部分がアクティブな状態だった。やはり取り出される前とあとでは大違いなのだ。僕はコンピューターから検査用のメーターを取り出し、データを新しく書き換えた。6時間に及ぶデータシャッフルと計算によって、4日後の午前10時13分からの5分間に夢のひずみが最も大きくなる事がわかった。時々大きくなる夢のひずみから彼女の寝室だと思われる部屋が見えたし、一度はひずみから手を出して何かに触れる事が出来ていた。おそらくひずみが最も大きくなるタイミングで僕が外に出るしか無さそうだった。

 「ふう。」僕はひとまず安堵して、彼女の夢の中で眠ってしまった。そこはまるで足首が埋まる絨毯のように柔らかく、暖かいのだ。
 僕は彼女の夢の中で不思議な夢を見た。