architectureという言葉はartificialから来ているわけではないよね?
さて、そろそろ写真をupするのも飽きてきたので直島の建物を見て感じた雑感。
直島は岡山と香川の間の瀬戸内海に浮いている島で、
香川県なのだが地理的には岡山からの方が近い。
島には三菱マテリアルの精錬工場がありそれ以外
これといったものが存在しないところに、
安藤忠雄がベネッセハウスという建物と地中美術館を建設した。
これらの建物は島の裏山に位置しているように見え、(実際は知らない)
明らかに周りの山を削って作られた人工物という印象を受ける。
基本的に人間が住む=自然が損なわれるが、ともかくここには
あまり自然との共存、的な意識が感じられない。
原因の1つは設計における鋭利さである。
建物そのものが作品ですので、写真を撮らないでください
と言われる地中美術館でその傾向はもっとも顕著だ。
この建物には基本的にカーブが用いられていない。直線で構成されている。
(と思う)
通常人が触れると考えられる場所には、建物であれ製品であれ
R、すなわちroundをつける。製造上この方が作りやすいという
理由もある場合が多いが、Rが無いと危険なのだ。
例えばauのデザインケータイであるneonの筐体を見ても分かると思うが、
丸みを帯びないデザインにおいてはデザイナーは無駄を省いた
直線形状を出来る限り望むことが多い。
しかし安全上、あるいは量産時の問題からRを施す必要があり
neonでも当然、90度の直行した面で製品が構成されることはない。
例えば今、手に持っている円筒形のコップの口がすっぱりと
竹を割ったような形状とすれば、そのコップで
何かを飲むときに唇が切れる。
手で握っているマウスが完全な直方体であればその角で
怪我するかもしれないし、目の前の机の角が完全に90度だけの
角で成立しているとしたら、子供が目をぶつけて切るかもしれない。
そういった配慮の元、完成したモノに鋭利さが失われてしまう
としてもある場合はヤスリを丁寧にかけ、ある場合は成型する金型を
加工してRが施されているのが普通だ。
これに対して安藤忠雄の地中美術館はコンクリートもしくは鉄?によって
ほぼRを取らない状態で、あるいは本当に必要最低限のRで
建物が構成されており、本来人を助ける役割である手すりすら
角が尖り自然どころか人すら拒否するような印象を持っている。
地中美術館に関してさらに言えば、建物の材料も非常に無機質で、
コンクリートと結晶が見えるような鉄、あるいはガラスで構成されている。
直島に現存する木造平屋建ての家を保存した家プロジェクト
と真っ向から反するようなコンセプトで、
James TurrellのOpen Skyもopenなのかclose(切り取っている)なのか
どちらかわからなくなった。
到着した日にベネッセアートサイトを解説してくれた
ホテルスタッフによれば
「私が小学生くらいの時に建ったのですが、
当時は否定的な感情しか在りませんでした」
ということで必ずしも町民の理解を得たものではなく
あくまで外の人間が作り外の人間が来る
場所なのがこの直島の目玉である2つの建物であったことは
想像に難しくない。
そのスタッフが「何の因果か島に戻ってきてこういう仕事に
就いてから、世界からも注目される直島という島がもっと
隙になりました」と次に続けていた。
時間を経て建物に植物が侵入しだし、
以前よりはまだましになったのかもしれない。
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