Tokyo Submarine Airport 1999-2006 09

気付いた時、僕はベッドに寝ていた。小鳥の声が外から聞こえた。光がカーテンの隙間から入っていた。

 時が動いている。自分の肌色の手が見えた。僕は地上の人間になったんだ。そう思った時また意識が遠のいた。

 どこからか音楽が聞こえてきて、僕はもう一度目覚めた。いい匂いもした。僕は起きあがって、ごわごわした服を眺めた。部屋には誰もいなくて、カーテンから柔らかな日の光がこぼれ、揺れていた。外を眺めると、風が吹いた。
 「起きたの?」彼女は風の精のようにするりとドアから入ってきて、ドアを大事そうに音も無く閉めて、聞いた。心を解放した彼女が部屋に入っただけで、まわりの空気までもが心をふるわせた。僕はわけがわからなくなり、やっとの事で答えた。
 「うん。」
 「ものすごく大変だったの。だって他人の家のお風呂の中に2人とも水浸しで入ってるし、それにあなたは…なんて言うか、真っ青というよりは色が無かった。今は普通だけど。それに、服も着てなかったし。それはあの家にあったシャツとズボン適当に着せたの。さっき新しいの買ってきたから、あとでこれ着てね。」彼女は服を差し出した。柔らかい海の色のシャツと、濃い青のズボンだった。
 「びしょびしょの私がぐったりしたあなたを運んで、ベッドだって1つしかないし、本当にすごく大変だったんだから。」「ごめん。僕なんか床に寝かしときゃよかったのに。」他に思い浮かぶ言葉も無かった。
 彼女は僕に背を向けて、何か探していた。
 「これあなたの。」ナイフとコンピューターとライトと釘だった。
 「ありがとう。」
 「うん。私見てたのよ。あなたが缶づめされた私の心をずっと探してるの。あなたが缶切りを持った男の子だったのね。」
 「うん。そうだよ。僕だ。」僕は聞こえてくる音楽に耳をすませた。
 「ありがとう。」
 「えっ?うん。僕も君のおかげで夢から出られたんだ。ありがとう。僕も大変だったんだよ。つい今まで、キミが夢から出してくれたって事を忘れちゃうくらいに。うわっ!」僕はいじっていたフィルムケースを落としてしまった。ふたが開いて、300本ぐらいの小さな釘が床にぶちまけられた。それらはそれぞれ別の方向を向いて、ゆらゆらと動き、すぐに全て止まった。一瞬僕はまた時が止まってしまったのかと思ったけれど、彼女はそれを無視してベットに腰掛けた。
 僕は彼女の隣に座って、こっちを向いた彼女を眺めた。
 「泊めてくれる?行くところが無いんだよ。」
 「知ってる。そんなこと。はじめからそのつもり。あなただってそうでしょ?」
 「うん。ありがとう。」
 散歩に行かない、という彼女の言葉は、何か不思議な魔法みたいだった。僕はただうなずいた。

 僕たちは時の流れる、暖かい日の光の中散歩した。僕は彼女の大きな力に動かされた小さな男の子のように思った。彼女が僕をここに呼んだのかもしれない、と。「そこのベンチに座ろう。」僕は隣に座った彼女の頬にキスした。

 スピーカーからは小さな音でUnderworldがかかっている。外は静かに雨が降り、細かいその雨が音を吸収してしまって、何も聞こえない。僕は海の底を思い、その想いは彼女と僕を包み込む。
 「なんだか深海に潜ってるみたい。」
 窓の外はものすごい圧力を持った暗く冷たい海水。部屋は潜水艇なのだ。僕らはどんどん深く潜って行く。僕は何も言わずとなりで寝ている彼女を抱きしめた。彼女の息が僕の胸のシャツにかかり、温かく湿っている。彼女の鼓動が僕の胸に聞こえる。それは僕をとても幸せにした。僕は彼女の髪をいじって、小さな羽のようなピアスがついた耳にキスした。きれいな耳。僕は眠ったふりをした彼女にキスする。目をつぶった彼女の笑顔から、光がこぼれる。
 何時間かあと、僕らは静かに交わった。彼女の素敵な吐息がゆらゆらと光る水のように部屋を覆った。

 小さな未来をうつすように、青く透明なナイフが机の上でキラリと光る。目の無い魚の透明な骨で出来ているのだ。

 僕は日の光を浴びて光る月の光と、止まった時を想った。彼女の砂漠が水に満たされて、長い時間をかけて深海の底になった様子が思い浮かんだ。彼女は僕の腕の中でぐっすりと眠っていた。

僕のまわりをゆっくりと時が流れて行った。海から始まった時の流れだった。僕は海が本当は大好きなのだ。細かい雨が静かに海にも降った。僕にはもう、夢を運ぶかつての仲間達の姿は見えない。そう思うと涙が出てきた。その晩、海の夢を見た。僕の夢は誰が運ぶのだろう?
 仲間の顔はもう、思い浮かばなかった。

「明日、手紙を入れたビンを海に流そう。」
 静かな部屋で、天井に向かって僕はつぶやいた。
 今ではもう、僕は彼女を色々なものから守る事を確信していた。彼女もそれを知っていたから、ぐっすりと眠っている。僕の中で少年だった部分はこの何日かで大人になっていた。無くなったものもいくつかあったかもしれない。でもどうでもよかった。また探せばいい。代わりになるものでもいい。
 「おやすみ」
 月が出ていた。月の光の中で細かい雨が光と音を吸収していた。夜の天気雨。僕にはそれがわかった。

もう一度、青く透明なナイフが机の上でキラリと光った。小さな未来が。明日から始まる世界がそこに。

END