saiaku friday

最悪だよフライデー、と僕はつぶやいた。
今日というフライデーを時系列的に逆に、振り返ってみようと思う。

すでに土曜日に日付が変わった0時45分、
僕は家への道を全力で自転車で走っていた。
朝、家から駅までは全力だが、帰りは普通のんびりだ。
しかし今日に限って全力だったのは体が冷え切っていたため、
まあ全力で走れば暖まるだろうという目算だった。
見事にその目算が外れるほど、体は冷え切っていたのだ!
とにかく暖かいシャワーが必要だった。

なぜ冷え切っていたのか?
それは総武線が原因である。
フライデーが最悪フライデーに変わったのは大体、夜の11時半ごろだ。
僕はその時代々木駅のホームの椅子でテトリスをして
電車、総武線東京方面行きを待っていた。
すると、アナウンス。 上野駅に人が降りたため電車が遅れております。

ああ、それって山手線じゃないか、と思ったのもつかの間、
その山手線のアナウンスをしている人とたぶん相当仲悪いんだろうな
と想像するくらい、思いっきり山手線のアナウンスにかぶせて
総武線が、新宿駅の人身事故のため、電車に遅れが出ておりますと
アナウンス。

はあ。代々木の手前じゃないか。
ようやく電車が来るころには指がかじかんでうまくボタンが
押せない瞬間に何度と無く遭遇しテトリス合計死ぬこと3回、
時間にして45分ほどその冷え切った椅子に座っていたため、
完全に足先が麻痺していた。寒すぎる。

その約1時間前にも、フライデーが最悪に近くなっていく様相は見て取れた。
僕はその時、恵比寿と渋谷のちょうど中間あたりのカフェにいた。
僕が30分ほど遅刻し、さらに15分ほどたってから始まった
ミーティングは既に1時間半ほど経過しており、そこにはいつものTokyoArtBeat
らしからぬ、単なる儀礼的な議題が停滞して澱んでいた。
ジンジャエールは期待していたウィルキンソンじゃなくてコカコーラの
砂糖水みたいなやつで、氷がきちんとしていることだけが救いだった。

もちろん儀礼的な様相を示した理由はNPOという、
東京都というお役所が認めた組織として活動を始めるにあたっての
内容だったので仕方のないことではあったのだが、それにしても
僕はかなり退屈していたのだ。

そのさらに2時間半前、フライデーはちらりとその悪さを見せ始めていた。
僕は恵比寿から渋谷方面に歩いていた。
10分ほど歩くと山手線の上を東横線が横切る地点に出るのだが、
そのすぐそばのカフェに向かっていた。

カフェは僕が5年ほど前夜中に通りかかって、すごいおしゃれだなあ
とか思っていたまさにその場所だったのだが、恵比寿から渋谷へ
山手線沿いに歩くと、恵比寿の華やかさや渋谷の喧騒が
いったいどこに行ってしまったのかというくらいに人通りの少ない
通りが続く。なんだか薄暗く、都心のど真ん中に立てられた清掃工場が
何かの象徴のように空を覆う。

その脇を、財布を完全に忘れてしまっていた僕は
なんとなく憂鬱に歩いていた。カフェがおしゃれでも現金が無いと
水くらいしか頼めないじゃないか、フライデー。

最近は本当にSUICAやEdyという電子マネーで生活できてしまうため
現金を持っていくことを忘れてしまいがちなのだ。
その点で、めずらしくみんなが帰りが早く、僕も当初予定されていた
Tokyo Art Beatのミーティングに出席しようかなと思った8時半という
時間に財布が無い事に気づいた時点から、
フライデーは坂を転がり落ちるように悪くなっていったのだ。
と結論付けることが出来るのではないか、qed