長文読解力、とさんざん中学受験で叩き込まれたのが
実はその後の人生において非常に役に立っているのではないか、
というのを最近強く思う。
そういう意味で、英語を子供に習わせる前に日本語、と思う。
自分は日本語そのものを言っているのではない。
文章(もちろん口語でも良い)を理解する能力のことを言っている。
それをおろそかにしてしまってはどのような言語をしゃべれても
頭の良い人間にはなれないだろう。
結局のところ、ユーモアのある人間は他言語でもユーモアを発揮するし
コミュニケーションが苦手な人間は他言語を流暢に話せたとしても
コミュニケーションはスムーズに行かない。
それとは別に、最近実感したのだが、自分の場合
文章を読まないと文章は生まれない。
小説を読むとそうだけど、
これは不思議なのだが2chとかを見ていても全く文章は生まれない。
そこに求めているのはあらかじめ予想していた反応を見て
ああこれ、と思う同調感だけだ。
しかし日経新聞を読んでいると生まれる。
かなり流し読みにも関わらずなのが不思議だ。
「考えさせる」喚起させる効果があるのではないかというのがうっすらとあるが、
いずれにせよorbitalをBGMに
体はほとんど縦ノリであってもキーボードはカタカタと
いくらでもこのような文章を進めていってしまう
ここ数ヶ月、ブログを更新しないと言うよりは
全く更新できないという状態に近かった
以前から、忙しい場合でも文章が思い浮かぶ場合は思い浮かぶし、
眠る時間になってもいくらでもそういった事が起こっていたのだが
それもなかった。
不思議なのはそういった状態にいると、
ありとあらゆる感激や感動も少ない気がする
語るべき言葉を持たない体験は、するりと手でつかむ水のように
記憶からも抜け落ちていく。
それとは別に、ありとあらゆる感激や感動
これはもう常にグラフが右に
下降しているような状態であるのは間違い無い。
もしかすると会社を興したことで
ある種のたがが外れたのかもしれないな、とも思うが、
しかしその作業自体は自体は面倒ではあっても
あまり頭と時間を使うような内容ではなかった。
クリエイティブかそうでないか、というのは実際、自分自身ではなく
外部が判断する内容であるとは思うものの、
明らかにここ数ヶ月、
あるいは1年に近い期間自分はクリエイティブではなかったと言える。
それでもそれなりの事をしている自負はあるが、
やはり冬眠のような状態だったのではないかと思う。
そういう意味では状況が改善してきたような気がしている。