コンテクストを紡ぐのです

コンテクストを紡ぐのです、イノベーションにはそれが不可欠です、みたいな最もらしい事を話している人がいたとして、その人が果たして過去にイノベーションを起こせたことがかつて一回でもあったのだろうか、という疑問にたどり着く。

物事の考え方を明示して、わかりやすく枠組みを見せて、その枠組みについて蕩々と語ることそのものをビジネスにしている人たちがいたとして、

その枠組みは確かに何も気づいていない人には有効だったとしても、そんなことにも気づけていない人間に何かを起こすことが出来るのか?わかったつもりになるかもしれないが、おそらく最もらしい事を話している人以上の状態にならないんじゃ無いか?と思う。

言語化や体系化できないあるいはしていないかもしれないが既に自分でそれらの存在に気づいている人間がこれまで起こしてきたことがそれであり、

わかった気になって

精度は上がったかもしれないけど絶対的なセンスとか嗅覚とか、そういったものが無い人には無いままなんじゃ無いか、
妄信するところまで行かなくても、枠組みや手法を当てはめることに四苦八苦し、いつしかそれが目的になり、当てはめることに満足してしまう、消費してしまうのでは無いかと思う。

もうちょっと教育のような観点とか、あるいはその人のスキルを底上げする方向ならまだ良い気もするんだけど、

時間だけでなく、どこかから現れた、それが自分の懐からではないかもしれないが、お金までもが消費される場になっていく。

時間コストについてはとても最近重たく考えるようになってきている。