homotopic 夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

ベートーヴェンだかバッハだか誰だか忘れたのだが、
そういったとにかく歴史に残っている偉大な作曲家が
どうやってあんなすばらしい音楽を作曲されたんです?と
聞かれて、

音楽がそこにあったから私はただそれを音符に書き留めただけです、

みたいな逸話があったように思うのだが、
いまググってもそれが出てこない。
キーワードがちょっと曖昧すぎるのかも知れないが。

エミクロくんにも聞いたのだが、時々そういう逸話を
勝手に作るので自分で信じ込んでいるんじゃあないか、
というような疑いの目を向けられた。
確かにそういう傾向はある。でもこれは違うと思う。

なんでこんな話を書いているのかと言うと、

村上春樹の「夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです
を読んでると、この人の書く小説がなぜ全く他の小説家の小説と
異なる物語なのかが少しわかった気になる。

書き始めるときに全くストーリーが決まっていないのだが
自分の深い場所に降りていくと話が進んでいき、
自分自身は読者でもある、というような内容のインタビューが
何度も出てくる。

ある意味では空中から音楽を紡ぎ出した作曲家と同じ位置で
そこにあった物語が紡がれているのではないか、とも思える。
村上春樹は自分のかなり奥まで潜って自分の中にある闇を、
というような話をしていてニュアンスは異なるが、
しかしそれって他人から見ると何もないところから出来上がっている
としか見えない。とすると、空中から紡ぎ出しているようにも見える
という意味で同位置だ、という意味で。

ストーリーを考えて伏線を置いて
犯人が最後に暴かれる、というような頭のいい人間が
ロジックとトリックを組み込んで作られた少しおもしろおかしい
エンターテインメント性の高い小説

っていうのは例えば東野圭吾とか、売れ筋で確かに
多く存在するのだが、それとは全く異なる切り口で
小説が書かれている事がありありとわかってくるのだ。

このところ読書量が少ないので全然本ブログを更新していないが
また村上春樹読み直そうと思う。

正直に言ってこれって知らなくても良かったかも知れないなあ
と思える部分もあったが興味深い本だった。

(主に、何か考えながら読むタイプではないので
とにかく話に引き込まれれば良いというスタンスで本を読んでいる
身としては、解説とかいらない)

にしても自分の時間というのは本当に限られているから
もう消費するためだけを目的に書かれたような
クソみたいな小説は読みたくない。

ここでまたトモフスキー。
全てを知る必要はないそしてどのみちそんなこと出来ない!