kantan consumption わかりやすい内容ばかり消費されていく

それは物事の本質的な部分ではないのに、と思う事は多々ある。
国会議員が間違った日本語を使ったり誤字脱字だったり、
確かにそれはちょっと気になるし、
指摘しやすい・わかりやすい内容が消費されていく。

本質、というのが何かはよく分からないという話を前に書いたが、
http://www.j-love.info/ino/archives/20130201_distillate.html
そういうレベルではなく、あれか、本題ではない、か。

先日妹がシェアした知り合いのコメントは特に憤りを感じた。

何故そこまで憤りを感じたのか、
自分なりに考えてみたのだが、
それなりに文字数をかければ説明できる気がしていたが
今はそのような説明すら意味が無いなと感じる

結局そのまま指摘しやすい、わかりやすい
そういう方向がさらに加速されている事はとても強く感じる。