mature as 物質的に満たされて選曲か買い物くらいでしか自己主張出来ない現在

読売新聞?で石田衣良村上春樹の1Q84について
書評のような物を書いていた。この組み合わせは面白い。

やみくろ、のように意味を持たないもの。とか。

その中で、流し読みしたのできちんと記憶に残っていないが
「物質的に満たされて選曲か買い物くらいでしか自己主張出来ない現在」
みたいな事が書いてあり確かに、と思う。

選曲というのは面白い。とても。それは置いておいて、

見るテレビ番組、見る映画くらいでは差別化は出来ない。
選択肢は10通りくらいしかないからだ。
洋服、選曲、読む本、これは結構選択肢が幅広い。
場合分けしたらものっすごい枝分かれする。
それが自己主張と呼べるならば個性に満ちあふれる。

行く場所、食べるもの、何だろう。他に自己主張出来る要素は。

しかし物質的に満たされていなかった時代での自己主張は逆に、
どのような事で可能だったんだろう。主張?冒険?
そう考えると自己主張はさほど今も昔も変わっていないかも知れない。

選択できる中からの選択としての自己主張。

冒険するという選択ではない選択が
今は出来ないかというとそうでもないと思う。

結局、 
選曲というのはアイデンティティそのものになりうると言うことで、
やはりlast.fmがすごいという認識で落ち着いた。