ESCAPE2001-2006

検索脳と外部記憶、それからライフログとこのブログについて。
最後。

2001年の7月に、自分のサイトにESCAPE WHILE YOU CAN
という名前の日記コーナーを作成してから今日、2006年の10月まで
ほぼ毎日何らかの文章を更新している。

それは何度も書いたけれどほとんど自分のためで
他人のためではない。ほとんどの場合。
なぜ公開しているのかというと、
いろいろな皮を剥げば自己顕示欲だと思う。

本題はそれじゃなくて、この「毎日の」記録もライフログの1つに
あたるんじゃないかと思っている。
改めて読んでみると実はその日の出来事について書いているわけでは
無い場合も多く、それは「日記」にはあたらないのだが、
(たとえば今回の4つのエントリーは1日で書いて、後はタイマー式に
4日間で自動投稿されるように設定されている。)

このブログを1日ほぼ1記事書く事でその日一日の記憶を自分で行う
代わりにしているような気になる。
ライフログとしてのブログが外部記憶としても
使用されているような錯覚に陥るのだ。

本当に大事なことは書いていないのだが、逆にどうでも良いことを
常に書いているおかげで、大事なことがいつ起こったのか
わからなくなっている。
以前は大事なことを記録して、それは公開しない状態にしていたのだが
それが面倒になったためというのが一番の理由だ。
だいたい大事なことに限ってうまく文章に書けないことが多く表現できない。

そういった事が続き、例えば旅行で感じたどうやっても表現できない感覚は
どうでもいいことの記述の中から思い出す事になり、やがてそれすら
思い出せなくなってくる。出来事はどうでもいいことだけ、文字として残る。

結局のところ、僕らは失い続けているわけだが、
頭を使わないことでさらにそのスピードが加速している。

失い続けている何かを表現できる人たちの作品を
消費することで何とか均衡を保っている。