PR 記事の存在とそれらのわかりにくい境界

もう2ヶ月くらい前になるかと思うんだけど、
http://japanese.engadget.com/
を読んでいてはっきりとこれは広告記事だなと感じたのは
outlook.comの紹介記事だ。

ittousaiというライターのエッジの効いた皮肉が読みたくて
このブログを読んでいる人も結構いると思うが、

その皮肉が非常に柔らかい範囲で、
いまさらgmailから乗り換える必要も感じませんが
みたいな表現が全くない。
かつ画像の多用、あまりに丁寧な使用方法の解説、推薦。
おそらく先方に用意されているだろうテンプレートを若干いじっているのだろう。
ここまで来ると流石に鈍い自分でもわかる。

数ヶ月前に、ブログメディアに向けて何通かメールを出してみたのだが、
取り上げてくれたのはネタフルだけだった。

非常に似たような記事が散見されるのに取り上げられないのは
単にそのメールが届いていないという理由ではなく、
それらの記事が所謂ステルスマーケティングで
取り上げられた賜のように思え
それすなわち、広告記事がかなり紛れ込んでいるであろうことを
推測できた。

そういった視点で再度ブログメディアに流れている記事を
みていると、ああこれは広告、これはまじめに書いてる、広告、
広告、みたいな感じで大抵は判別が付くようになる。

広告で無くても、依頼記事、みたいな印象が付く記事は比較的多い。

結局のところ影響を持つメディアにはこういった紹介記事が
お金や情報との見返りに集まってきて批判を書けなくなり、
結果的に記事が面白く無くなっていくんだろうなあという事を感じるし、
まあそれはこういったブログメディアだけではなく
マスメディアにももちろん適用されてきたんだろうと思う。

なるべくそれらにコントロールされないようにしたい。