kodawari line こだわり漸近線

何をどこまでこだわるか、というのがこのところのテーマになっている。
何のテーマかというと自分のライフスタイル、ではなくて仕事。
仕事にこだわるとかそういう話しでもない。

感覚とか価値観とかは当然人それぞれなのだが
それを共有するのか強要するのかさりげない演出をするのか
はたまたそのさりげない演出がスルーされるのか、が問題。

確かにこだわった部分が文字通り量産されて
世の中に数百数千数万、数十万、数百万と
コピーされていく以上、
逆にこだわらなかった部分も同じ運命が待っているのは事実。

しかしこだわることで得られるのがものすごく、本当にものすごく
範囲の狭いエリアに対してであり、
そのこだわりの犠牲が自分の時間だとしたら

僕は自分の時間を取る。
それはエンジニアとして駄目なんじゃないか?という意見があるとすれば
エンジニアを自分とするか、自分がエンジニアを含んでいるとするか
その違いなんじゃないですか?と答えたい。

僕が含んでいるエンジニアは自分の時間の方を取る。
他の人は知らない。