シダトレン(スギ花粉症を対象とした減感作療法)飲み始めました

シダトレン
シダトレン なんと言っても3~5年+すべての患者さんに効果が期待できない がインパクト。

ざっくり言えばスギ花粉を毎日飲み込むことでアレルギー反応を抑えるというシダトレンという薬の服用を開始した。なんと製薬会社公式のアプリがあり、毎日の服用を忘れないように記録できるようになっている。

インフォームドコンセントの資料(上青木森クリニックというところがPDFをUPしていたのでリンク)が一番詳しい。

これが公開されておらず、医療機関のwebなどでは抜粋する形等で紹介している。

ともかくこの資料では、治療は3~5年かかりますとの表記。しかも毎日服用。厳しい日々の始まりである。しかし体験談を見ていると1stシーズンから症状が激減している人もいるので、そちらに期待したい。 続きを読む シダトレン(スギ花粉症を対象とした減感作療法)飲み始めました

takao

高尾山登ってきた。ケーブルカーは使ったけど、2歳児が全て自分の脚で登り降り(正確には、10mくらいだっこした)、5歳児はきちんとリュック背負って上り下り。599 museumがおしゃれかつおいしかった。それにしてもお手軽だなあ高尾山。。驚いた。

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おばけ紙粘土

おばけ紙粘土
おばけ紙粘土

子供と紙粘土で遊んでいたところ、なかなか紙粘土が無くならないので粘土を消費する目的で、円筒形の土台とコップを作ってたんだけど、コップが想像以上に難しく、おばけに切り替えた。
おばけなら結構簡単なので、子供と紙粘土で遊んでいてなかなか紙粘土が無くならなくて小さな動物とか、トイレとかが永遠に出来ていく状況を打破したいみなさまにおすすめする。

その日は目をペンで書いていたんだけど、子供が寝てからくりぬいて
今朝少し遅く起きると何か違和感がある。
なんか粉があるし、問い詰めると右目を上の子にさらに拡大されてた。鉛筆で。

光源はMESHのLEDタグで、
おばけが近づくと目が光る、みたいな説明のインタラクティブな紙粘土おばけも比較的簡単にでき、
夜9時になるとおばけが来た、とか
うるさくしているとおばけが近づいてきているのがわかるランプ的に使おうか思っている。ただ紙粘土はもろい。ニス塗ればいいのかしら。

SAKANAQUARIUM

いやこのライブほんとにいけばよかったなあと思いました。ほとんど後悔に近い。

従兄弟が撮影した映像、だいぶ前に買って音源だけ聞いてたんだけどようやく見ることができた。とにかくすばらしい。従兄弟の映像は既にアイデンティティがあるので一度ティザーだけでも見てみるとよいかもしれない。ライブって撮りなおしできないだろうから大変だろうなあ・・

サカナクション

サカナクション/SAKANAQUARIUM 2015-2016″NF Records launch tour”-LIVE at NIPPON BUDOKAN 2015.10.27-

怒りドライブ

最近気づいたのは
自分には目の前に存在する比較的明確な悪い要素に対する怒りだったり、なんとかしなくちゃだったり、あるいは打ち負かすべきみたいなそういった動機が自分自身のやる気の原動力なんじゃ無いかっていうことで、

そのやる気は上記の悪い要素に対して何かをするという事だけではなく、自分自身の状態にまで影響を与えて、間接的に何かやるという行動にまで発展する。

つまり目の前に悪いやつがいないと極めてのほほんと過ごしてしまい、比較的広くやる気が出ない。

これ構造変えるとだいぶなんか人生が楽になる気がするんだけど。楽になるとやる気が出ないな。仮想敵みたいなものが必要なのか?面倒。

コンテクストを紡ぐのです

コンテクストを紡ぐのです、イノベーションにはそれが不可欠です、みたいな最もらしい事を話している人がいたとして、その人が果たして過去にイノベーションを起こせたことがかつて一回でもあったのだろうか、という疑問にたどり着く。

物事の考え方を明示して、わかりやすく枠組みを見せて、その枠組みについて蕩々と語ることそのものをビジネスにしている人たちがいたとして、

その枠組みは確かに何も気づいていない人には有効だったとしても、そんなことにも気づけていない人間に何かを起こすことが出来るのか?わかったつもりになるかもしれないが、おそらく最もらしい事を話している人以上の状態にならないんじゃ無いか?と思う。

言語化や体系化できないあるいはしていないかもしれないが既に自分でそれらの存在に気づいている人間がこれまで起こしてきたことがそれであり、

わかった気になって

精度は上がったかもしれないけど絶対的なセンスとか嗅覚とか、そういったものが無い人には無いままなんじゃ無いか、
妄信するところまで行かなくても、枠組みや手法を当てはめることに四苦八苦し、いつしかそれが目的になり、当てはめることに満足してしまう、消費してしまうのでは無いかと思う。

もうちょっと教育のような観点とか、あるいはその人のスキルを底上げする方向ならまだ良い気もするんだけど、

時間だけでなく、どこかから現れた、それが自分の懐からではないかもしれないが、お金までもが消費される場になっていく。

時間コストについてはとても最近重たく考えるようになってきている。

記憶からの欠落

週末杉並区と練馬区の境目くらいにある住宅地の一角にある小さな美術館で一人の作家の本の表紙や挿絵に使われている絵の展示を見てきた。結構な数の人がいたんだけど、そこはかなり交通の便が悪くちょっと思い立って行くような場所では無かったからかもしれないし、あるいはその作家が基本的に好きな人の集まりだったからかもしれないが、他の場所とは何か違った居心地の良さというか存在感の無さというかそういった雰囲気が合った。いや、一人だけ虚勢を張った大学生がいたけれどそれは今の今まで記憶から都合良く欠落していただけか。記憶は都合がいいなあ。

ターニングポイント

悩みはすれど、あまり後悔はしないし、そもそも現状が最適な帰結だと思っているのでこのところほとんど考えたことが無かったんだけど、ここまで生きてきてのポイントで、あのときにこっちの選択をしていたらだいぶ違ったんじゃ無いか?という分かれ道について考えた。講演を聴きに中野の明治大学のキャンパスに行き、年齢がようやく2桁になるくらいに毎週通っていたかつての自分の記憶にある中野と全く姿の違う中野、真新しい区画に集合する大学、それからそこで講演している大学教授。15年前にその教授の研究室に入ることは希望すれば可能だったがそうしなかった事について、話を聞きながら少し考えざるを得なかった。チャンスをものにするという事よりは、さらに先を見る力とか嗅覚、可能性にかけるとか、そういうものが自分が18くらいの時に備わっていたとはとても思えないし、広い世界を見ているそれくらいの年齢の人たちを見てもそこにどのように到達できたのかっていうのは全く想像できない。

経験というよりも世界の狭さみたいなものが問題で、それはでも自分一人では切り開けたとは到底思えず、何をどうすればいいかなあと思っている。

逃げられるうちに逃げとけよ