そう。僕はアフリカの現状を目の当たりにすることになる。
2時間ほど遅れて到着した便。空港を出るとまず誰もいない。
程なくして迎えに来たウラサ氏は小太りで妙に愛想が良い。
地平線まで続くひたすら直線の道はアフリカでは当たり前で、
そこには車線すらない。
枯れた草が広がる大地と、遠くに見えるキリマンジャロとメルーは
雲に覆われていてその頂上はうかがい知ることが出来ない。
時折道路に段差がもうけられ、否応なく車が減速すると
赤茶けた土地に赤茶けた色の煉瓦で作られた質素な家が建ち並び、
それらは特に広がりもなく点在し、何をしているのかよく分からない人々が
行き交うか、あるいは座り込んでいて、これがこの後どこでも見かける
アフリカの街、あるいは村の光景だという事がわかる。
走っている車は9割くらいが日本車で新車という概念は無さそうだ。
バンにはOX工業、トラックにはOX運送、果ては元々は救急車だった
車が走っている。日本からどういった経路でここに到着するのかはわからない。
車以外でブランド物が認知できるとすれば、コカコーラだろう。
この国では液晶テレビは売ることが出来ないと思う。
そもそもテレビ放送は電波が来ているのかもわからない。
PCを持っている人間はどれくらいいるのだろうか。
PCの無いところにmp3プレーヤーは存在し得ない。
この国ではmp3プレーヤーを持っていても何の意味もない。
家々はいくらでも砂が入り込みそうな構造だし、
電力もあまり期待できない。信号という概念は無いだろう。
ガソリンだけは先進国並みの値段になっている。人々の月収は2006年で
4000円程度のようである。
日本と比べて50倍程度の物価の差があると考えて良い中で、
車を所有している人間は相当に特殊だろう。また、他のテクノロジーに
比べて携帯電話が思った以上に普及していたのだが、これを持っている人間も
やはり特殊な環境にいると考えておかしくないだろう。
そんな中、中心都市Arushaで降り立った僕たちはまず150ドルの両替を試みた。
その結果、両替所のタンザニアシリングが無くなった。
当然である。20000シリング~40000シリングが月収である世界で、
1$=1300シリングx150。合計20万シリング。
下手をすれば年収に値する、半年は人を雇える額である。
日本で考えれば200万円くらいになる。非常識この上ない。
「1人30$両替すればちょうどいいと思うよ」と発言したツアーコンダクター、
ウラサ氏は完全に腹黒決定である。ぼったくる気が無ければこんな
アドバイスはしない。
両替所に現われた女性は驚きを隠せず、
全員の分を建て替えて両替していた僕は急遽100ドルだけで良い、
と両替所の女性に告げる。注意深く作業を見ていると
1000シリングの10枚束を9枚にしている。
両替所を取り囲むように物売りが僕らをマークする。
非常に危険な状態だ。何せ半年分の給料を持っている。
しかしその時点ではタンザニアの年収もさほど認識しておらず
あまり危険度を認知していない友人もいた。
しかし辺りは微妙な緊張。にもかかわらずウラサ氏は
僕らを置いてどこかに消える。
その瞬間物乞い達が取り囲む。
当たり前だ。ウラサは分かってそれをやっている。
ありえない。恐らく地元に顔を立てるためだろう。
待っているはずのトヨタ・ランドクルーザーは僕らの荷物と共に
消えており、みんなの緊張は極限になる。
何せなにも分からない街で誰も知らない状態で物売り達に囲まれ、
その上車が消えたのだ。
ほどなくしてウラサがランチボックスを持ち現われ、
車はガソリンを補給していることがわかる。
それにしても、ひどい。海外で緊張したのは久しぶりだ。
ウラサは完全に黒いぼったくりであることが僕の中では
この時点で確定になったのは言うまでもない。