MOTアニュアル2016 キセイノセイキと落差

MOTアニュアル2016 キセイノセイキキセイノセイキってキセキ(奇跡の)ノセイキと空目していたのだが行ってみたら規制。でもカタカナなので読み取り方がいくつかある可能性があって、暴力的あるいは性的な表現があるためお子様は観覧禁止エリアがあるなど入ってみたらだいぶと思っていたので印象が違った。なんかちらりと田中功起の名前を見ていて、あのおもしろ動画が見られるのかと思ったらそれも違った。

しかしかなり印象的。入り口には女子高生らしき人物が制服でスミノフを泥酔しこぼしながらラッパ飲みするような写真が巨大に拡大されて展示されており、ああ、規制か、とここで気づく。法律違反か。規制か。と。そういえば現代美術館この前も会田誠の作品でなんか規制していたな、と。MOTアニュアル2016 キセイノセイキ次のエリアに進もうとすると、この展示は監視員の財布の中に作品を収めています、というサイン。監視員の方に財布の中身を見せていただく。へえ、という気の抜けたコメントしか出ない。

白い展示台と白い展示エリア、白い額縁に何も展示されずただ戦争記念館のような作品タイトルが羅列される白い空間、とひっかかりつつ考える必要のあるような展示が多い。なるほどこれは作品タイトルだけ見て、そこに実物がなかったとしてもレプリカだったとしてもたぶん自分が受ける印象は同じかもしれないな、みたいな感想を得る。例えば、「爆風で吹き飛ばされ変形した飯盒」1944年 東京 みたいな展示プレートと、よくわからないけどキャンプで長年使って変形した飯盒を置かれてていても自分が感じる感想は同じなんじゃないか、と。だって何も置いてなくてもそうか、ふうむ、とか感じてしまっているからね想像して。そんなにひどい爆風だったんだな、人は簡単に壊れるけど飯盒は残るんだなみたいな感じで。

展示されている作品の中で特に衝撃を受けたのは横田徹|Toru Yokotaといういわゆる戦場カメラマンによるWARという映像作品で、中学生・高校生以下はNGという展示エリアになっている。これまでテレビでは見たことの無いようなシリア?の戦場の映像がずっと流れている。戦闘しているわけではないのだが破壊し尽くされた街の様子。がれき、トンネル、死体、etcetcもう少し時間があれば別の国、場所の映像も流れていたようなのでそちらも見て見たかったが、なるほどこういうのが現実なのか、と思う。現実?ではないか。

現場。もちろん現場は映像では全く伝わらない状況が生まれているわけで、それはもう常に様々な日常で感じているわけだが、

そう映像。なんかわかった気にはなる。倒壊した家屋、地滑りした山、避難所に集まっている人たち、でももちろんそれは九州だから他人事。夜中の1時過ぎに都内のマンションでも非常に気味の悪い音を立てて建物がゆっくり揺れていたほどの地震、でもここは大丈夫かな、仮に関東大震災級の地震が起こったとすると都内だと食料そのた含めて圧倒的な人口をカバーできる気がしない、でも用意するのは数日分の食料くらいか、でもこんな高層に住んでいると現実的ではないな、集合場所は?寄付はできればしよう、という程度にしか働かない。

話がそれた。それが映像ですら、圧倒的な存在感を持っておりこういう場所、状況が存在するという事実を見るだけで何か。あれ、今までテレビやwebで見ていたあれはだいぶ和らげられているんだなと感じ、さらにその上でこの衝撃を受けた作品自体が、さらに過激な映像は黒あるいは白で塗りつぶされているために作品として不完全な物になっているという但し書きがあり、

最初に暗幕の中に入っていったときにかなり険しい顔をして映像を見ていた人が2人いたのだが、気づけば自分もたぶんそういう顔になっていた。

MOTアニュアル2016 キセイノセイキ

そして先に展示会場から出て食事を始めていた家族から連絡がきたので見切りをつけ、ううむ、とか思って黒い暗幕(写真は別の暗幕だが)から出て行くと、吹き抜けの上のフロアでは展示面積あたりの人口密度が150倍くらい、下手したらもっとあるんじゃないかと思われるピクサー展、そこから聞こえてくる楽しそうな声、というあまりの落差に、この企画展示はわざとピクサー展に合わせて開催してさらに来場者に疑問を投げかけているのでは無いかと思ったくらいの様相だった。なんか時間があればもう一度行って映像を見てみたい。

そして一連の感想文、女子大生のほうがしっかりと書いていてやっぱり自分は思考が稚拙で組み立てられないなあとあらためて思う。今に始まったことじゃないが、最近そういう事多い。

 

この展示が終了するとMOTは大規模改修で閉じるようだ。