tranquil トランキル

他に形容しようのない形容詞を他の言葉で表現することは
確かに難しいが、感覚的に理解するのときちんと言葉を分解して
こうこうこういう理由で成り立った言葉だからこう、というところまで
理解するのとで、どちらをとるかと言われたらもちろん感覚的をとる。

こういうのは生き方のポリシーになってくるので、
トモフスキーが言うように
「全てを知る必要はないそしてどのみちそんなことできなーい!」
と思って日々をやり過ごすか、
何でもとにかく原理を知るべきだと思って日々生きていくか
そういうのは選ぶのは個人の自由である。

しかし「もうこれ以上 新しい何かはいらない!」と
言いながら独創的な歌を創り出していくトモフスキーは
知ることをある段階で放棄したとしてもすばらしい何かを
生み出せないわけじゃあない、っていうことを
表現しているような気がするのでとても好きだ。

やるべき時はやるのだが基本的にやるのは面倒。
そんなんでいいんじゃあないかと思っている。

tranquilという形容詞が文中に出てきたのだが、
この形容詞はそういうことを考えるきっかけになったものだ。
tranquilで画像検索をすれば、ああこういう
水面が凪いでいる状態のようなことを言うのか
というのが理解できる。

tranquilはtranquilであって他になんでもない。
そのまま覚えればいいのだ。