どこで満足するか?というのが問題なんだと思った。
金曜日に部品メーカーの方々と飲んだのだが、
その席で設計者出身で今はマネージメントに当たっている方が、
我々は前回の設計の成功体験の上に
胡座をかいてしまっていたんですね、と話す。
競争メーカーが安く、さらに性能の良い部品を出してきたため
このメーカーの部品は採用の危機にさらされていた。
結局採用されたのだが、その部品は前回の形状とは全く
異なる物で、また僕自身は考えもつかなかった形状に変わっていた。
様々なアイディアがメーカー内であったり、僕らの設計チームであったり、
または両者の打ち合わせの場で出てきて出来た、と認識している。
前述の、胡座をかいてしまった、というのを聞いて自分にも十分
当てはまる部分があると思った。例えば
全体の4割のコストダウンした設計を提案しとして、
実はさらに細かく見れば伸びしろがまだある状態だったとしても
4割やったからいいや、細かくやれば4割5分(ブ)になるんだけど、と
なる場合もあるのだ。
仮の話、仕事量として、60時間の設計で4割削減を達成し、
あと20時間かければ追加で5分(ブ)削減を実現出来る、けど
まあ自分としては60時間まででいいかな、と力を抜いてしまうわけだ。
4割削減した効果が400万円分のコストダウンで、
この分会社に貢献したとして、
5分(ブ)だと50万円分。自分が20時間働いて達成できるなら
するべき内容である。会社主体で考えるのであれば。
そういった仕事だけの問題ではなくて、
自分が今やっている物事すべてにおいて
胡座をかいてしまうのは結構まずい、と危機感を感じている。
さらに先に進むためには20時間とは言わず努力が必要だったり
技術的な壁があったりといくつも障壁があるわけだが、
とにかくこの状態に満足してはいけない。
で、何やってんの?
っていうのはもちろん言わないけど。