shell 砲弾が飛んできた場合

今日は考えさせられることがいくつかあった。

韓国人の人質達は解放されたけど、日本人の青年は殺されたんだっけ、
日本はアメリカの言いなりで自衛隊を撤退できないからなのかな
と思っていながら見た、イラクとは全然関係ない
BS特集「証言記録マニラ市街戦~死者12万 焦土への一か月~」
という番組。
市街戦で市民10万人、日本兵、アメリカ兵合わせて計12万人が殺された。

生き残った市民と日本人、アメリカ人がインタビューに答えて
番組が進んでいく。このときのインタビュアーはそれぞれの土地の人間
なのだろうか。家族が日本とアメリカに殺された人々が暮らしている
マニラに観光気分で行くのがもう無理になるかも知れない内容ではある。

しかし年老いた米兵がJAPと日本兵を罵っているのを見ていると
そいつを極端に言えば殺したくなってくるし、
日本兵は狙撃がうまく、将校とかを狙って打ってくるんだ
と言うのを聞くとなんとなく誇り高いし、

フィリピンの現地の人の生き残りの人が
火炎放射器、あんな武器は使っちゃいけない。
丸焦げになって日本人は建物から出てきた。
でも転がりながらも最後まで米兵を打っていた
と言うのを聞くとなんとなく誇り高い

正直に言って
生き物は全て他の生き物を排除すべく、自分が一番反映できるように
生きているのだから戦いは避けられないのではないか、とも思う。

日本人の老兵は言う。
攻撃を決めた奴がね、最前線に来ればいいんですよ。
あそこで何が起こっているかは来た人にしかわからないね。

たぶんイラクで殺された青年は
テレビに出て訳知り顔でコメントしているやつよりも
遙かに多くのことを知っている
たとえ自分探しの旅に出てイラクに行ったとしても
それはなかなか出来る事じゃないし、
何というか、
攻撃を決めた奴がね、最前線に来ればいいんですよ。だ。

勢い良くJAPと罵っていた米兵が最後にインタビュアーに聞かれる。
「この戦いは何のために行われたと思いますか?
10万人もの犠牲者を出して」

そこで米兵は頭を抱える。
「少し考えさせてくれ」

「わからない。何度も考えたけれどわからないんだ。」

同じ日に僕は村上龍のインザミソスープという本を読んだ。
日本にやってきたフランクと、外人に新宿のナイトライフ、風俗?なんかを
紹介する仕事をしている二十歳の青年が主人公で、
フランクは非常に残忍な殺人者だったことがわかる。
本の内容を説明しても読んだときにつまらなくなるのでやめるが、

村上龍は本の中で日本のおかしな部分を
「外人から見た日本のおかしいところ」として紹介する。
物質的豊かさのなかで寂しさだけを理由に体を売る女、
ブランド物だけに頼る社会、ものすごい数の自動販売機は
コンビニがあってどこでも飲み物が買えるのになんであるのか?
あれだけの種類の飲み物を出してメーカーはどうやって利益を出しているのか。

主人公の青年には答えられない内容が多い。

後書きで村上龍は日本のねじまがりを、なんとか矯正するために
私はこれを書いた、というような内容の文章を書いている。
読売新聞か何かに掲載された小説だったようだ。

ものすごい内容を掲載するな、と思う。
相当気持ち悪くなる人もいるのではないだろうか。

僕の思考はどんどん飛んで特に結論を出さずに、ただただ考えるだけ
考えて放置することが多い。今回もそうだ。

次に考えたのは、つまり戦争とかフランクのような猟奇的殺人者で
殺人に非常に離れしているような、圧倒的な力の前で自分が一体
どういう行動を取れるだろうか、という内容だ。

誰しもがヒーローになりたいと思う。映画では主人公は常にヒーローだし
時には笑ってしまうくらいあり得ない活躍をする。

たぶんそういうのは全部、無い。
恐ろしいほど無力なのだ。

NHKの番組の後半、厚い壁に守られた、日本兵が最後に立てこもった
旧スペイン植民地時代の建物に対してアメリカ軍は
砲弾を浴びせかける。1分間に120発、数十トン、と話していた。
中にいた少数の日本兵だけでなく多くのベトナム市民がその砲弾で死亡する。

たくさんの死者の映像が映し出される。

隣の人の腸がお腹から出た
母親の頭が砲弾のかけらで飛んだ
そして何も考えられなくなった
生き残ったベトナム市民がshell、と何度も言っていたことが耳に残った。
彼らが生き残れたのは確率の問題で
ヒーローだったからではない。