カテゴリー別アーカイブ: Tanzania

06tanzania: mariokart

さて暇な時間はマリオカートばかりしていたタンザニアメンバー。
DSに記録されている対戦成績を公開!

対Janky:(含む富士登山)
VS 30勝5敗
バトル 37勝17敗

対Purc:
VS 18勝6敗
バトル 33勝15敗

対隊長:
VS 6勝0敗
バトル 44勝25敗

ちなみにタイムアタック(一番最初のコース)は
うなる3連ドリフトで1分32秒台の異次元スピードで誰も追いつけず。
ということで圧倒的勝利を収めたinox!わーい。

あ、youtubeみてたら1:15とかあるんですけど。
どういうことのなのこれ、、ふ9
これが噂の連続ドリフトか、、できねえw
だいたいこんなカートねえw

06tanzania: ethiopian air

少し脱線してエチオピア航空についての写真を適当に集めてみたので
書いてみる。

ethiopian_air_01.jpg
エチオピア航空のチケットはこんな風にエキゾチックなイラストで
便名や行き先、名前は手書きだ。中には英語とスワヒリ語で
注意書きが書いてある。

ethiopian_air_02.jpg
バンコクで便を待つ時点から周りの雰囲気が違う。
乗客の8割以上がアフリカン。
見慣れている注意事項を流すビデオも、出てくる人物が
アフリカンなので一瞬驚く。

ethiopian_air_03.jpg
アナウンスは最初におそらくスワヒリ語、次に英語。
スワヒリ語のアナウンスはなぜか低い男性の声である。
当然シートにもスワヒリ語、英語で説明。

ethiopian_air_04.jpg
これはエチオピア→タンザニアへのボーイング737に搭載された
ソニー製ビデオデッキとおそらくフライトレコーダ。

フライトアテンダントは女性が一部、麻のような薄くきれいな民族衣装風の
服装をしており優雅。

乗客の多くはブラケットを頭からかぶり、眠る。あまり見られない光景だが、
ネットなどでいくつか文章を見ると彼らは幼い頃から毛布を頭からかぶせられ
育てられるため、これが一番落ち着く状態のようだ。

ethiopian_air_07.jpg
ちなみにこの毛布がかなりかっこいい。一部の乗客はこの毛布を当たり前のように
肩にかけ、そのまま飛行機を降りて帰って行く。
タンザニアで感じたのはとにかく、乾期だったためもあるのだろうが
砂っぽさ。頭から毛布をかぶせるのは
砂を防ぐ工夫なのかも知れないが定かではない。

ethiopian_air_05.jpg
エチオピアの首都、アディスアベバからは地図の様に多くのアフリカ各国
への便が飛ぶ。

アディスアベバからの便がかなり日常的に遅延するのはこれらの便を待ってから
出発するせいかと思われる。

もう一つ特徴的なのは、早い物勝ち精神。
半券に書かれている座席番号は適当で、早く乗った人が座る。
もちろんそれは一部の人なのだが毎回それでちょっともめたり、
ドミノ式に違う席に座っている人がたくさんいる。

ethiopian_air_08.jpg
、とにかく我先に乗ろうと
乗客は搭乗ゲートに入り口に群がる。そしてずるこみ(これは主におばさん)
が発生する。1列に並ぶと言うことをしないので放射状に。

ethiopian_air_06.jpg
機内食はそれなりで、今となっては珍しいプルタブ式のジンジャエール。
帰りの便ではヨーグルトの容器が泥で汚れていたりしたが、すでに
そういう事になれていたので普通に食べた。

スワヒリ語は基本的に象形文字に見える。
風邪を引いた隊長がチャレンジした象形文字を表現した写真
ethiopian_air_06.jpg ethiopian_air_06.jpg

ちなみに最後の文字、矢がささってるんですけどw
矢がささってないバージョンもありました。

ちなみに毛布はかっこよかったのでもらってきたw

06tanzania: Ngorongoro to Arusha, Meru simba lodge

ンゴロンゴロクレーターとお別れした後、行きと同じ道でアルーシャへと帰る。

african road created by Japanese
そう言えばクレーターからアルーシャまでの
道路は日本が造ったらしく(政府開発援助か?)非常にきれいで、
快適だった。ネットで調べていた情報が古かったためかンゴロンゴロまでは
未舗装の道が続きかなりきつい、と認識していたためこれは非常に助かった。

運転手は相変わらず寡黙でMaruが何度か話題を振るが
数センテンスで会話が終了する。
もう一度スネークパーク、あるいはマサイミュージアムという
ぼったくりの館と思われる場所に寄ろうとする。

無理矢理車を止められるがが全員で拒否。
突然車を降り、何があったんだと聞くとSomebody has my bagとか
意味の分からない下手な言い訳をして帰ってくる。

アルーシャの街を通り抜け、メルーシンバロッジに向かうが場所がわからない、
と言い出し、準備の良い隊長が持っていた電話番号にかけるも今度は
携帯のチャージが足りず、車で20分ほど走りようやくチャージ、
無事到着する。

Meru simba lodgeはサイトの写真でもわかる通り非常にきれいなところだ。
オーナーのスイス人女性もフレンドリーで
きちんとお湯も出るし、食事もおいしい。
中でもズッキーニのスープはかなりおいしく全員がおかわりをして
きれいに平らげる。

タオルや食器はIKEAで統一されそこがアフリカであることをほんの少し忘れる。
Arushaの国立公園への入り口から車でほんの数kmだし、
キリマンジャロの登山口へも1時間半で行けるので場所も良い。

meru simba lodge
食後にはコーヒー、ホットミルク、ココア、あらゆる飲み物が用意され
バナナケーキまで出た。暖炉には薪がくべられ、
オーナーがもてなしてくれる。

しかしそれ故に周囲との格差を余計に感じてしまう状態になる。
非常に丁寧に管理された芝生、宿泊客が通るたびに
砂の足跡が残る磨かれた黒いテラスがあり、
その敷地は丁寧に隠された有刺鉄線と生け垣で覆われ、
入り口は鉄門で閉ざされている。
ポーターはアフリカンでラフな格好をしている。そこまで管理できないのだろう。

ひとたびロッジから出ると今にも草が浸食してきそうな未舗装の凹凸の激しい
道があり、道の脇には雨風をぎりぎりしのげる煉瓦造りの家がぽつぽつと
存在し、洗濯物やぼろぼろになった靴が無造作に乾されている。

自動車が通ること自体が珍しいのか幼い子供は車に向かって手を振り、
ある程度年齢がいった子供は軽蔑の目を向け、大人達は関心を示さないふりをする。

そういった環境で欧米人の登山家を迎えてロッジを経営するのは
並大抵のことではない。あの女主人はどういう背景があるのか、
恐らく夫をキリマンジャロで無くしたのではないかと想像しみんなに話す。
それは冗談として受け入れられる。もちろん冗談ぽく話す。

でもあの環境で少なくとも僕はうまくやっていける自信はない。
そんなことを考えながら、しかし次の日はこの旅のメインイベントである
メルー山登山なので、荷物を整え9時頃には熟睡している。

06tanzania: Ngorongoro crater 8th Wonder 03 Ngorongoro

DSC00547
NGOTOKITOKI PICNIK SITE.

クレーターの中は写真でも分かるようにほぼ平らだ。
長い年月をかけて周囲の山が削られ堆積したのか、
あるいは大昔湖の底だったのか、不思議なくらい平坦な環境。
これも不思議なのだが、高い木は存在せず、視界はクレーターの縁まで届く。
雨季と乾季、堆積した土壌の性質、草食動物、そういったものがジャングルに
なるのを防いでいるのかもしれない。

このクレーターにとりわけ来たかったのはわけがあって、
その閉鎖された空間が村上春樹の世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
を彷彿させたからだ。

もしかすると一角獣の頭骨が落ちているかも知れないし、
クレーターの中心には湖があってそこが唯一の下界への
通路かも知れなかった。

実際にはクレーターの中の湖はどこかへ吸い込まれ、
クレーター外の麓からわき出ているのだろう。
クレーター付近はやたらと緑が豊富でプランテーションの場所にもなっていた。

DSC00548
集合。

朝7時頃クレーターに向けて出発し、中に入ったのが9時か10時頃だろうか。
砂埃を巻き上げて3時間ほど走り回り、昼ご飯を食べた。休憩は湖の横で。

DSC00589
シマウマに近づく

ダチョウも見かけたが、実際に見るとあれだけ大きな鳥が
いるのはちょっと現実的でない気すらする。

クレーター内部は比較的天敵が少ないのか、
シマウマや水牛の群れは非常に数が多い。
恐らく彼らにとって一番の天敵は人間で、
自然保護地区を出た外の世界で普通に見かける動物は
マサイ族が所有する牛と、その牛たちを追う犬だけだ。

DSC00197
水を求めて。

ライオンと子ライオンが何かを食べている様子を遠くから1度だけ発見した。
それにしても、草を食べるだけで生きていける動物がこれだけいるのが
とても不思議。

DSC01929
クレーターから出る

2,3時間クレーター内を走って様々な動物を見た後、
明日のMeru登山に備えてArushaへ帰る。

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さよならクレーター

06tanzania: Ngorongoro crater 8th Wonder 01 Ngorongoro

Ngorongoro crater、ンゴロンゴロクレーターは
ンゴロンゴロ自然保護区内にあり、世界遺産である。

ngorongoro_google_earth.jpg

当初山登りのみでここには行く予定ではなかったのだが、
どうしても行きたかったためスケジュールを縦横無尽にこねくり回し
行けるプランに無理矢理変更した。
(難解なパズルをはめ込むようなスケジューリングに自分が天才かと思った事は秘密。)

クレーターと言っても隕石がぶつかって出来たクレーターではなく、
火山が爆発したりした結果、2000m~3700m程の山が取り囲む
盆地のような地形。

動物は基本的にクレーターの内部から外に出ることは出来ず、
(実際車が通る道でも相当傾斜が厳しい。人間が道を作ってからは
動物もその道を利用すれば外に出ることは可能そうではある。)
独自の生態系が築かれている。

とは言っても生息しているのは中央アフリカでみられるごく普通の
動物のようだ。

車で向かったのだが、曇り空で自然保護区内に入ってからは
霧が出て視界が相当悪い。

DSC00147
霧の中に現われた観光客相手のマサイ族の村。

かなりブルーになって運転手に聞くと、これが結構当たり前の天気とのこと。
励ましているのか信用して良いのかよく分からない。

すると象が。
DSC01827
まだクレーターに入っていない。普通に草をはんでいる。近い。

やがて車は稜線を超え、クレーターの内部が見える。
壮大。とにかく壮大。写真では全く表現できないタイプの
風景が広がっている。後にも先にもこんな景色は見たことがない。
グランドキャニオンとかで感じるものとはなぜか違う壮大さ。

DSC01830

動物たちが点のように見えている。
車がクレーターの内部へ進んで行くにつれて雲が晴れる。
DSC00170

朝早かったため霧が発生していたのと、クレーターを囲む山が雲を止めているようだ。
すぐにシマウマの群れに遭遇する。

06tanzania: Arusha to Ngorongoro

ところでタンザニアの位置は宇宙から見るとこんな感じだ。
画面中心がタンザニアで、国境付近がほぼ赤道に位置する。
登山するメルー山はそこから若干南。

tanzania_from_space.jpg

ウラサの事務所で835ドルを支払った後、
運転手がNgorongoroクレーター方面へと車を走らせる。
運転手は突然町中で止まった後、何も言わず車を降り、
事務所でもらった米ドルを両替所で両替。おそらくここが
一番レートが良いのだろう。こういう、人を騙しているのにも
関わらず抜けている、馬鹿にするような行為がかなり頭に来る。

ウラサは運転手を叔父の息子、と紹介するが実際に彼に
聞くと全然違う、と苦笑。まるで適当である。

当初の計画ではLake Manyara Hotel泊で、Lake Manyara周辺の
サファリの予定だったが飛行機の遅延のためという理由で
勝手にホテルを変更され、サファリも「スネークパーク」に変更。

しかしスネークパークに到着してみるとあからさまに
観光客向け的なMasai Museumの隣で行く気にもなれず
キャンセル。

そのままホテルまで、2,3時間だろうか。当日の経路をGoogle Earthから。

06tanzania_1stday.jpg

途中に見かけた緑に覆われた土地はコーヒー農園で、
plantationだという。この単語は植民地という意味と大農園という意味を
持っており、運転手の言葉に皮肉が込められていたのかは定かでない。
必要なこと以外はしゃべらない。およそ客商売が向いているとは思えない
非常に寡黙な男だった。

後日Lake Manyaraはナイトサファリも可能で、非常に広大な湖だと知る。
まあそれは良い。泊まったホテル/ブーゲンビリアロッジはアフリカにしては
特に問題がない。ウェイターが僕らの写真を撮った後に、赤目を発見し
非常識的なまでに笑った事以外は。

おそらく地理的な問題で(周囲には特に何もない)客が少ないのだろう。
斡旋されたのだと思われる。

DSC01817

長時間のフライトとへんてこな緊張感、そして怒りで疲れたため
大量の蚊取り線香を焚いた気分の悪い空間で泥のように眠る。
ンゴロンゴロクレーターへの出発のため、朝6時に起きなくてはならない。

06tanzania: Arusha and African standard

そう。僕はアフリカの現状を目の当たりにすることになる。

2時間ほど遅れて到着した便。空港を出るとまず誰もいない。
程なくして迎えに来たウラサ氏は小太りで妙に愛想が良い。

地平線まで続くひたすら直線の道はアフリカでは当たり前で、
そこには車線すらない。
DSC00805

枯れた草が広がる大地と、遠くに見えるキリマンジャロとメルーは
雲に覆われていてその頂上はうかがい知ることが出来ない。

時折道路に段差がもうけられ、否応なく車が減速すると
赤茶けた土地に赤茶けた色の煉瓦で作られた質素な家が建ち並び、
それらは特に広がりもなく点在し、何をしているのかよく分からない人々が
行き交うか、あるいは座り込んでいて、これがこの後どこでも見かける
アフリカの街、あるいは村の光景だという事がわかる。
DSC00761

走っている車は9割くらいが日本車で新車という概念は無さそうだ。
バンにはOX工業、トラックにはOX運送、果ては元々は救急車だった
車が走っている。日本からどういった経路でここに到着するのかはわからない。

車以外でブランド物が認知できるとすれば、コカコーラだろう。
この国では液晶テレビは売ることが出来ないと思う。
そもそもテレビ放送は電波が来ているのかもわからない。

PCを持っている人間はどれくらいいるのだろうか。
PCの無いところにmp3プレーヤーは存在し得ない。
この国ではmp3プレーヤーを持っていても何の意味もない。

家々はいくらでも砂が入り込みそうな構造だし、
電力もあまり期待できない。信号という概念は無いだろう。

ガソリンだけは先進国並みの値段になっている。人々の月収は2006年で
4000円程度のようである。
日本と比べて50倍程度の物価の差があると考えて良い中で、
車を所有している人間は相当に特殊だろう。また、他のテクノロジーに
比べて携帯電話が思った以上に普及していたのだが、これを持っている人間も
やはり特殊な環境にいると考えておかしくないだろう。

そんな中、中心都市Arushaで降り立った僕たちはまず150ドルの両替を試みた。
その結果、両替所のタンザニアシリングが無くなった。

当然である。20000シリング~40000シリングが月収である世界で、
1$=1300シリングx150。合計20万シリング。
下手をすれば年収に値する、半年は人を雇える額である。
日本で考えれば200万円くらいになる。非常識この上ない。
「1人30$両替すればちょうどいいと思うよ」と発言したツアーコンダクター、
ウラサ氏は完全に腹黒決定である。ぼったくる気が無ければこんな
アドバイスはしない。

両替所に現われた女性は驚きを隠せず、
全員の分を建て替えて両替していた僕は急遽100ドルだけで良い、
と両替所の女性に告げる。注意深く作業を見ていると
1000シリングの10枚束を9枚にしている。

両替所を取り囲むように物売りが僕らをマークする。
非常に危険な状態だ。何せ半年分の給料を持っている。
しかしその時点ではタンザニアの年収もさほど認識しておらず
あまり危険度を認知していない友人もいた。

しかし辺りは微妙な緊張。にもかかわらずウラサ氏は
僕らを置いてどこかに消える。
その瞬間物乞い達が取り囲む。
当たり前だ。ウラサは分かってそれをやっている。
ありえない。恐らく地元に顔を立てるためだろう。

待っているはずのトヨタ・ランドクルーザーは僕らの荷物と共に
消えており、みんなの緊張は極限になる。
何せなにも分からない街で誰も知らない状態で物売り達に囲まれ、
その上車が消えたのだ。

ほどなくしてウラサがランチボックスを持ち現われ、
車はガソリンを補給していることがわかる。
それにしても、ひどい。海外で緊張したのは久しぶりだ。
ウラサは完全に黒いぼったくりであることが僕の中では
この時点で確定になったのは言うまでもない。

06tanzania: NRT-BKK-ADD-JRO

出発前の5人
DSC00029
フライトも長いので全員メガネ。

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NWのboeingの後ろに。
成田空港で虹を見かける。
成田からバンコクのフライトは主にNintendo DSと旅日記。

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Bankok到着。ロストバゲージ対策で、ここでいったん荷物を受け取るよう
手配したのだが成田空港の地上アテンダントが史上最強に態度が悪く、
いまいちどうすればよいのか分からず。
imigrationでどうすればよいか聞き、迷ったあげくものすごく小さな
エチオピア航空のカウンターを見つけて話してみるととても親切な対応。
baggage claimで職員が引き取って再度エチオピア航空に乗せてくれるとのこと。
とりあえずは一安心。

この後マイル加算のための半券が行ってしまうなど一悶着。

エチオピア航空に乗ると8割以上は黒人。
アディスアベバはアフリカのハブ空港で、ここを経由してアフリカの諸国に入ることが
多いようだ。
しかしあまりに寒くinox早速風邪を引きアディスアベバでダウン。

キリマンジャロ行きは事前の評判通りdelay。
寝たりして待つ。
そうこうするうちにキリマンジャロ国際空港に到着。
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