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おばけ紙粘土

おばけ紙粘土
おばけ紙粘土

子供と紙粘土で遊んでいたところ、なかなか紙粘土が無くならないので粘土を消費する目的で、円筒形の土台とコップを作ってたんだけど、コップが想像以上に難しく、おばけに切り替えた。
おばけなら結構簡単なので、子供と紙粘土で遊んでいてなかなか紙粘土が無くならなくて小さな動物とか、トイレとかが永遠に出来ていく状況を打破したいみなさまにおすすめする。

その日は目をペンで書いていたんだけど、子供が寝てからくりぬいて
今朝少し遅く起きると何か違和感がある。
なんか粉があるし、問い詰めると右目を上の子にさらに拡大されてた。鉛筆で。

光源はMESHのLEDタグで、
おばけが近づくと目が光る、みたいな説明のインタラクティブな紙粘土おばけも比較的簡単にでき、
夜9時になるとおばけが来た、とか
うるさくしているとおばけが近づいてきているのがわかるランプ的に使おうか思っている。ただ紙粘土はもろい。ニス塗ればいいのかしら。

SAKANAQUARIUM

いやこのライブほんとにいけばよかったなあと思いました。ほとんど後悔に近い。

従兄弟が撮影した映像、だいぶ前に買って音源だけ聞いてたんだけどようやく見ることができた。とにかくすばらしい。従兄弟の映像は既にアイデンティティがあるので一度ティザーだけでも見てみるとよいかもしれない。ライブって撮りなおしできないだろうから大変だろうなあ・・

サカナクション

サカナクション/SAKANAQUARIUM 2015-2016″NF Records launch tour”-LIVE at NIPPON BUDOKAN 2015.10.27-

合板

パズルを作ろうと思っていて、合板で作ろうと思っていたので調べていたところ合板博物館なるものが新木場にあるということで新木場に行ってきた。

新木場は駅を降りて海側でバーベキューするか、あるいはstudio coast/agehaに行く以外では降り立ったことないんだけど、左に行くと木材を取り扱う会社が軒を連ねており、その先にひときわ高いビルがそびえたっている。そのビルの3、4階に木材・合板博物館はある。

知りたかった木材の種類と、特に板厚については丁寧に解説されており、一般材の厚みだとか建築部材向けの厚みというものがあることを知る。

合板の歴史や製造方法、大根の桂剥きというのがあると思うがそれと同じように丸太を剥いて、接着するという製法でそこらへんの東急ハンズやホームセンターで売られているベニヤ板が作られていることも知れた。

思った以上に、レーザーカットとは遠い位置にありそうなことも分かった。3mmとかの板材は型で抜いていることも知れたし、おおよそ知りたい内容は知ることができたので良かった。

上の階ではいつでも簡単な工作ができる。

木材・合板博物館

 

トップの写真は新木場の駅前の木材会館で、一部木で出来ているビル。触らなかったのでよくわからないが、おそらくコンクリート?部分も木目をデザインしてまるで木のよう。こういう建築は見たことがないし、一部木だけでもすごいが、あれが木目調コンクリートだったら執念を感じる。

木材会館

怒りドライブ

最近気づいたのは
自分には目の前に存在する比較的明確な悪い要素に対する怒りだったり、なんとかしなくちゃだったり、あるいは打ち負かすべきみたいなそういった動機が自分自身のやる気の原動力なんじゃ無いかっていうことで、

そのやる気は上記の悪い要素に対して何かをするという事だけではなく、自分自身の状態にまで影響を与えて、間接的に何かやるという行動にまで発展する。

つまり目の前に悪いやつがいないと極めてのほほんと過ごしてしまい、比較的広くやる気が出ない。

これ構造変えるとだいぶなんか人生が楽になる気がするんだけど。楽になるとやる気が出ないな。仮想敵みたいなものが必要なのか?面倒。

コンテクストを紡ぐのです

コンテクストを紡ぐのです、イノベーションにはそれが不可欠です、みたいな最もらしい事を話している人がいたとして、その人が果たして過去にイノベーションを起こせたことがかつて一回でもあったのだろうか、という疑問にたどり着く。

物事の考え方を明示して、わかりやすく枠組みを見せて、その枠組みについて蕩々と語ることそのものをビジネスにしている人たちがいたとして、

その枠組みは確かに何も気づいていない人には有効だったとしても、そんなことにも気づけていない人間に何かを起こすことが出来るのか?わかったつもりになるかもしれないが、おそらく最もらしい事を話している人以上の状態にならないんじゃ無いか?と思う。

言語化や体系化できないあるいはしていないかもしれないが既に自分でそれらの存在に気づいている人間がこれまで起こしてきたことがそれであり、

わかった気になって

精度は上がったかもしれないけど絶対的なセンスとか嗅覚とか、そういったものが無い人には無いままなんじゃ無いか、
妄信するところまで行かなくても、枠組みや手法を当てはめることに四苦八苦し、いつしかそれが目的になり、当てはめることに満足してしまう、消費してしまうのでは無いかと思う。

もうちょっと教育のような観点とか、あるいはその人のスキルを底上げする方向ならまだ良い気もするんだけど、

時間だけでなく、どこかから現れた、それが自分の懐からではないかもしれないが、お金までもが消費される場になっていく。

時間コストについてはとても最近重たく考えるようになってきている。

記憶からの欠落

週末杉並区と練馬区の境目くらいにある住宅地の一角にある小さな美術館で一人の作家の本の表紙や挿絵に使われている絵の展示を見てきた。結構な数の人がいたんだけど、そこはかなり交通の便が悪くちょっと思い立って行くような場所では無かったからかもしれないし、あるいはその作家が基本的に好きな人の集まりだったからかもしれないが、他の場所とは何か違った居心地の良さというか存在感の無さというかそういった雰囲気が合った。いや、一人だけ虚勢を張った大学生がいたけれどそれは今の今まで記憶から都合良く欠落していただけか。記憶は都合がいいなあ。

ターニングポイント

悩みはすれど、あまり後悔はしないし、そもそも現状が最適な帰結だと思っているのでこのところほとんど考えたことが無かったんだけど、ここまで生きてきてのポイントで、あのときにこっちの選択をしていたらだいぶ違ったんじゃ無いか?という分かれ道について考えた。講演を聴きに中野の明治大学のキャンパスに行き、年齢がようやく2桁になるくらいに毎週通っていたかつての自分の記憶にある中野と全く姿の違う中野、真新しい区画に集合する大学、それからそこで講演している大学教授。15年前にその教授の研究室に入ることは希望すれば可能だったがそうしなかった事について、話を聞きながら少し考えざるを得なかった。チャンスをものにするという事よりは、さらに先を見る力とか嗅覚、可能性にかけるとか、そういうものが自分が18くらいの時に備わっていたとはとても思えないし、広い世界を見ているそれくらいの年齢の人たちを見てもそこにどのように到達できたのかっていうのは全く想像できない。

経験というよりも世界の狭さみたいなものが問題で、それはでも自分一人では切り開けたとは到底思えず、何をどうすればいいかなあと思っている。

MOTアニュアル2016 キセイノセイキと落差

MOTアニュアル2016 キセイノセイキキセイノセイキってキセキ(奇跡の)ノセイキと空目していたのだが行ってみたら規制。でもカタカナなので読み取り方がいくつかある可能性があって、暴力的あるいは性的な表現があるためお子様は観覧禁止エリアがあるなど入ってみたらだいぶと思っていたので印象が違った。なんかちらりと田中功起の名前を見ていて、あのおもしろ動画が見られるのかと思ったらそれも違った。

しかしかなり印象的。入り口には女子高生らしき人物が制服でスミノフを泥酔しこぼしながらラッパ飲みするような写真が巨大に拡大されて展示されており、ああ、規制か、とここで気づく。法律違反か。規制か。と。そういえば現代美術館この前も会田誠の作品でなんか規制していたな、と。 続きを読む MOTアニュアル2016 キセイノセイキと落差

daikanyama kitsune

代官山kitune見学してきた。かわいい。写真は4歳児撮影。この前フランスのサイトから何点か買ってこれまた楽しかった。