social surface ソーシャル・サーフェス

猫も杓子もソーシャルかクラウド、の中で
ここ3日くらい少しまじめにfacebookのタイムラインを眺めていた。

その中で、
twitterとfacebookの広めたこの風潮によって、
情報の成り立ちがずいぶん表層的になったんじゃあないかと思う。
以前からそうだったのかもしれないが、
あふれる情報の優位性という意味で
表層的なものの力が増した、とでも言うべきか。

それなりに時間をかけて、自分自身で思考し答えを出すような内容とか
あるいは知識となるような内容、深い洞察とか考察が必要な内容は
ソーシャルの中では非常にシェアされにくい。

このシェア(いいね!リツイート!もろもろ)が問題で、
メディアは出来るだけシェアされやすい傾向のコンテンツを
作ることに注力していく。

ちょっとインパクトのある、しゃれっ気のある、頭の良さそうな、
あるいは少し斜め上に行って突っ込みを入れずにいられない、とか。

それをわあ面白い、とかそういう風に非常に表層的に共感する
右から左、何にも残らないけれどその瞬間は楽しい、みたいな
感覚で次々に消費する。

人と人との関係がそれで終わりでよいという人なら良いのだろうが、
個人的にはそういった消費は何も産まない気がするし
時間が無駄になっているような気がしてならない。
まじめに1対1あるいは少数で話し込むほうがよほど良い、と思う

人が何をどう思うかはその人次第だし、
傾向としてそれが進んでしまっている以上、
それにある程度は乗っかっていくしかないんじゃあないか、とは思う。

ただ、
例えばこのsurfaceというのは表層という意味と
側面という意味を掛けている、とか、そういう
きちんと説明すべき事は説明すべきだし、

一部の本当に無駄と思える無駄とか、
あるいはミスリード、完全な考察間違いは
見ていて読んでいて腹が立ってくる。