tangible bits タンジブルビッツ、2000年6月、メメント・モリ

tangible bits

MITのメディアラボ、石井教授の講演を聞いた。
印象に残ったのはメメント・モリ(Memento mori)。

次々に出てくるリアルで非常に今風な、悪く言えばコンサルの人が
使いたがるような英単語、(いや間違い無く本物なんだが)に混じって出てきた
初めて聞いた単語だったので、その瞬間は意味がわからないし
その言葉を教授が説明するわけでもないのでその後もわからない

ただ、教授がどこかのタイミングで自分の100年後の事を考えなさい
と話していた。自分自身を100年後誰かが覚えていられるか、
影響を残せるかそんな話だったと思う

そういったちょっとそれまで話していた内容とちょっと毛色が違うな
というところに惹かれたわけではないし、
なおかつそういった言葉を発せられるのはすでに大きな
功績を残している教授だからだろうなとその瞬間は思っていた。

しかし講演から1ヶ月くらいたった今、思い返しつつ
さらに生まれたばかりの自分の子供について考えると
メメント・モリなのである。

講演を聞いたその日は山手線が火災で止まっていて
途中から入ったのだが、
情報の洪水を個人的にはうまくサーフしたと思っている。

おそらく、聞く側にもある程度の推測力と受け流し力が要求された。

飛び飛びの話題は教授側ではこれまでやってきたことの繰り返しにしか
過ぎないがこちらとしてはほとんど初見、世界も言語も違う。

ある段階から言葉は言葉として受け入れてそれを直接的な翻訳を
しない感覚というのは言語処理能力にとって必要な気がするが、
そういうのって教えられて身につくものではない。

処理しようとしても、もともと解を持っていないのに検索をかけると
既に進行している処理もフリーズする。TOEICとか、試験問題と同じだ。

今回講演を聞きに行ったのは非常に偶然だった。
普通読まずに捨てる全体メールを偶然流し見て、
しかし業務ジャンルも全く異なるし職場とも離れているので
通常上長の許可を得てまで行こうとは思わないのだが
これってもしかして10年くらい前に展示見に行った人のなのか、と思い直した。

このブログを始める前に書いていた日記的な文章が
PCで残っているのは2002年くらい、
それよりさらに前の2000年の事となると自分自身
その時に何を感じどう思ったのか、そこに感動があったのかすら
それほどは覚えていない。

ただその年、
NTTのICCに言って宮島達男のMega deathを見たことと、
ロンドンに1人で旅立ちdesign museumで無印の製品を見たことと、
それからこのタンジブルビッツの展示を見たあたりから
technologicなアートというものそのものの存在と
それまで興味がなかった構造的な美しさとか、感覚的、
空間的、表現的、色、形、その他諸々に興味が出てきたのは確かだ。

以降それは自分の進むべき方向の大きな指針になっている。

# 冒頭の写真はその時かっこいいなと思って保管していた
tangible bitsのフライヤーである。
こういうのが瞬間に出てくるのは、
イベントと年ごとに分けたフォルダをアーカイブしているためである。
(この場合のフォルダはリアルなフォルダであって、PC上のフォルダではない。)

ダフトパンクの言うところのtechnologicはその5年後にリリースされている。
Buy it, use it, break it, fix it,
Trash it, change it, mail – upgrade it
今はそういう世界だ。確かに。

ここから冒頭のメメント・モリに繋がるのだが、
これまで自分が影響を受けた数々の出来事、
つまり本や音楽、それから人、追加してテクノロジックなアートなどに
自分の子供も同じように、あるいはもっと効率的に影響を受けて欲しいなと
思ったのである。それを行うのが自分にとっての、後の誰かに
影響を与えるという使命なのかもしれないと。

教授のように100年後に誰かに覚えてもらえるような影響力ではなくても、
単純に自分のようなレベルの人にとっては
それは単に自分の子供だけでもいいんじゃあないかと思う

限られた時間の中で何かを達成させるためには
自分自身の時間を何に費やすか、まじめに考えた方が良い

毎日残業して子供に会えないとか言ってる場合じゃあない。
ルーティンやってる場合じゃない
価値はそれぞれだろうけど、創れるモノを創る。

それと、たかが5000円くらいのゲーム
gravity dazeを買うか一昨日くらいから引き続き悩んでいるのは、

このゲームに費やす時間がたぶん25時間くらい発生するから
に他ならない。