Grab It Attack It 掴め、叩け

部屋でテクノが流れていたとしよう。

わたし歌詞を聴いて共感したりするから歌を聴くの。
だからこういう歌詞のない曲ってあまり好きじゃないわ。

っていう人は結構いる。うちの親なんかも基本的に駄目だ。
いつまで間奏なの、という話しに絶対なってしまう。

上記の理由から洋楽も駄目だ。
英語を聞き取れなければ当然共感しようがない。

そういう人たちにはこう説明したい。

いちいち共感してたら疲れるだろ?
いちいち共感する歌を流してたら気が休まらなくてBGMにもなんないし
そういう音楽だけを聞く人は
基本的に音楽と長時間一緒に過ごす人ではないと思うね。

音は集中したときに想像を喚起する媒体であって、
歌詞がある歌だけが好きなのは想像力が足りないんじゃないの?と。
もちろんけんか腰に話し始める事は単なる相手への興味喚起であって
本質ではない。

続けて少し遠回りに丁寧に話す。

例えばクラシックには歌詞がないけれどそれに感動するっていう事は
広く知られているよね、クラシックを構成するのが実在する楽器とすれば
テクノは様々な音を人工的に作り出していて、それらの音は工夫されてる。

世の中に広く受け入れられているテクノにいたってはクラシックの構成を
とっているものも多い。すなわち緩急や強弱だけでなくテンポの
違いを起承転結のように行っているものもある。

つまり音の成り立ちは違ってもそこにある「流れ」はクラシックであろうが
テクノであろうが代わりはないから、なんらかの感動を生む可能性が
あるはず。だからクラシックを聴いて気に入らないと言っているのと
同じなんだぜ。それだと素養がない、って思われるだろ?

ただもちろん、「場」は違うかもしれない。
正装して座って聴く音楽とTシャツで踊りながら聴く音楽はもちろん違うから。

想像力に関して言えば、
特に英語が使われているテクノの場合なんてさらに想像力が広がる
何故かって言うとそれがどんな日本語になるのか想像する必要があるからだ。

Grab It Attack It
Grab It Attack It
Grab It Attack It

ただそれだけを連呼するケンイシイのGrab It Attack It
直訳すれば「それに掴みかかって それを攻撃しろ」になるが

永遠にループ再生しながら想像する。

掴め、叩け
掴め、潰せ
掴め、叩け

こんな感じだよ。

っていうここまでの長々とした説明をせずに
掴んで、叩きつぶす

事を想像する。それは非常に爽快であり危険だ。

——————

なぜか聞き漏らしていた2000年のアルバムKEN ISHII / FLATSPINから
かなりの良トラック。Grab It Attack It