tyabudai gaeshi ひっくり返された方はたまんないんだよ、ってことを考えて欲しい

ちゃぶ台を2度ひっくり返した男、として
マツダのRX-8のデザイナーの話が
日経エレクトロニクスの記事で掲載
されていた。

要約すると、デザイナーのこだわりでかなり進んでいた
設計・生産をやり直した、つまりちゃぶ台をひっくり返して
今のRX-8のカッコイイマツダらしいデザインがある。
そして今回発表された、デミオでもそのデザイナーが
こだわりから同じ事をして、2度目、という記事だ。

デザインというのはとても難しい。定量的に測定できる訳じゃないし
人によって全然受け取り方も違う。

結果的にその車でも何でもいいが、最終的な物(製品なり建物なり)
が売れた、評価が高かった、人を寄せ付けた
というのは、それがデザインが原因なのか値段が原因なのか
それとも仕様なのかわからなかったりするから、余計に難しい。

全体的に今回の記事はデザイナー寄りの記事で、
ちゃぶ台をひっくり返したことを「そのデザイナーらしい」行動ととらえて
それをこだわりの生み出す産物として肯定している。

たぶんそのデザインが好きなんだろう。

しかし一人、読者がコメントしているんだけど
これは本当に困る。

デザイナー一人の、あるいは偉い人一人の心変わりによって
設計、生産、この記事で言う各部署の人たちは最初から
全てやり直さなければならない事になる。

一人がちゃぶ台をひっくり返したせいで、
部屋中に飛び散った味噌汁とご飯とおかずを片付けるのは
その下で働いている人たちだ。

ちゃぶ台をひっくり返されたおかげで、
ある人は土日にすら子供の寝顔しか見られないかも知れない。
ある人はデートを予定していたのに約束を破らないと
いけないかも知れない。
ある人は趣味に費やそうとしていた時間が削られる。
ある人は睡眠時間が削られる。

そういう事を想像せずにただただ自己満足のために
ちゃぶ台をひっくりかえし、本人はそこで満足すればいい、
でも、残りの人の時間と人生と大切な物を奪っている事を
想像できない人間だからこそそういう事をするんだと思うし、
それを肯定するのはどう考えても
同じように想像力が足りない人間のする事だと思う。

こだわるんだったら最初からこだわって、
きちんと時間を見積もって、
後から何か新しい要素が出てきてもそれを論破できるくらいの
物を仕上げて欲しい。

最初に書いたけれど、デザインは確かに評価が難しいと思う。

しかし、最初からそれが出来ないのであれば、
ちゃぶ台はひっくり返すべきではない。
何もデザイナーだけが対象ではない。