turn to escape 平面から平面の交差

日曜の夜はどうも寝付けない。
土曜の夜の夜更かしと
日曜の午前中の熟睡で。

図書館から借りてきた本を軽くベッドサイドで読んでいたら
プールサイドという村上春樹の短編が入っていた。
この話は非常に大まかに言ってしまえば
学生時代から水泳のトップクラスの選手だった主人公が
35歳という年齢を人生の切り返しとしたという内容で

僕はたぶんこの話を読んだこともあって、
25という年齢を一つの区切りにしたんだとも思う。
25という年齢は向こう側で、もう僕は向こう側にいる。

16の時に読んだ漠然として、しかし結局考えることの無かった
人生の切り返し地点が、今読むと遙かに重みを増している。
でも僕は切り返し地点を設ける気はない。
いくつかのステップを設けている。

最近ESCAPEについてよく考える。

実際のところ、ESCAPEするのは実は簡単なことではない。
しない方がよっぽど楽だ。

慣性の法則でそのまま滑っていく事が出来る。
ESCAPEというのはそれが上方向にせよ
下方向にせよ、それまで摩擦が0に近いと仮定できた平面から
違う平面に飛び越えないと行けない

もしかするとそこは今までの重力の1/2の平面かも知れないし
摩擦が30倍くらいある平面かも知れない
そういうのって全然わからない

こういうのっていくらでも言い古されている。
レールに乗った人生、ってやつだ。

最近になって、自分ってサラリーマンなんだ、と
未だに納得できないけど世間から見たらサラリーマンなのかもしれないな、
というところまで認識がされてきた。

Tシャツとジーンズ/音楽を聴きながら
漫画を読みながら電車に乗っていると
別に変わっていない気もする。高校、あるいは中学の時から。

でも時々仕事をしていなかった時のことを考えたり
学生を見たりすると懐かしくなったりうらやましくなったりする
でもそれほどじゃあない。
僕はたぶん、だいぶ、ずっと充実した生活を送ってきたからだ。

そして大まかに言って既に僕はだいたい、満足している。
これ以上何かしようとか
何が欲しいとか
こうなりたいとか
思わないようになってきた。

だいぶ前に、何が欲しいの?と言われたことがある。
完全な自分の部屋とオープンカー。
それじゃあ誕生日にはあげられないね。

車へのこだわりは実際はほとんど無い。
それはたぶんみんな知ってるだろう。
全然車なんてわからない。
幼稚園の頃ものすごい種類の車の名前を言えたみたいだが
そういうのって誰にでもあるのだろう。

部屋はある。広くもないけど、狭くはないし
別にこれ以上欲しいとは思わない。少なくとも今は。

そもそもそういう夢を持っていたのかすら
わからなくなって来ている気すらする。
もしかすると一貫して持っていなかったのかも知れない。

自分の好きな空間と音楽と、製品と
それに関わる仕事をしたいというそれだけの
ささやかな目標だったのかも知れない。
目の前にある何かの目標を目指すのは
苦手じゃない。

たくさん知らないことがあるのはわかっているし
閉じている必要は無いこともわかっているし
遅れてきた自分探しなのか
そういう感じもしない。

どこに旅に出ようが、
どんな本を読もうが
たぶんこれまでに感じた心動かされる体験を超える
体験は無い気もする。

感動はそこらじゅうで大量に安売りしている。

たぶん何かを吸収したり
それについて考えたりする脳が
能力がどんどん固まってしまっているんだろうと思う。

CDが再生し終わった。

たぶんほとんどの人はもうぐっすり寝ている。
僕も2時間後にはぐっすり眠っている。
ただしぐっすりに見えるのは外見だけで
少しずつ塵が蓄積している。