computer fiction フィクションとしてのブログに果たして責任はあるのか。

たまにこのブログで文章を書いている中で
表現するために全く架空の人物を登場させたり架空の出来事を
起こすことがある。

(逆に第三者を登場させてその人物に
 自分の意見を語らせたりすることもある。これは意外と遊びとして面白い。)

明らかな架空の話であれば読み手が分かるのだが、
表現のためにフィクションを織り交ぜる場合、
ありそうな架空の話なので書かれたことが実際に起こった話として
認識される可能性はもちろんある。

それらを全て僕の身に起こったこととして捉えるのも
そうでないのも読み手の自由なのだが、

あくまでこのブログは一部であって全部ではないし
場合によっては、「一部ですらない」と言うことが
たぶん伝わっていない。

別に伝える必要もないのかもしれないが
それを伝えずに誤解されて、
僕自身以外の誰かあるいは何かに害が及んでしまうのは避けたい。

読み手の自由、つまり誤解されるのは別に構わないのだが。

どうしたらいいのかよくわからないな。

ブログを全てフィクションとして捉えてもらうか?

個人的な意見ですが、の代わりに

フィクションなんですが、と言ってみたい。試しに。