root 273 ルート273

その時私は滋賀と京都の県境だと思われるあたりを走っている
タクシーの中にいた。午前1時近かったと思う。
タクシーはマニュアルで、時折路面の状態と関係なく振動した。
運転手は初老の男で、考えている事が言葉として出てしまうようだった。

うむ、あれ、どこだっけ、確か、右に。
そうだ。うんうん。交差点、そうだ。よいしょと。

タクシーから見える風景は漆黒の闇で、
記憶には無いが恐らく田んぼだろう。
このようなタイプの闇は東京には存在しない。

運転手は相変わらず何かしゃべっていたが
その声は口の中で吸収されてしまい
聞き取ろうと思っても聞き取れないし
第一聞き取っても意味をなさない。

急に右折してタクシーが減速して走り出したのは
武家屋敷のような街並みの曲がりくねった道だった。

ヘッドライトに照らされて、生け垣やら蔵やら、
白い壁、瓦屋根、立派な門や松が見える。
そう言えばこういった家も、少なくとも僕の住んでいる
地域にはほぼ存在しない。

物珍しさに家々を見ていると、バイパスに抜ける。
遠くにルートイン、という全世界に何千件もあるような
ネーミングのホテルの看板が見え、
しかしその看板とは逆方向にタクシーは走る。

こういったバイパスには何でも揃っていて、
それでいて何もないような感覚をいつも受ける。

あらゆる種類のファーストフードがあり、ファミリーレストランがあり、
ネットカフェがあり、プレハブの怪しげな中古のあらゆるモノを扱う店がある。
たくさんある。しかし空虚だ。
のっぺりした四角い建物に、何かを求めて入るには
時間が足りなさすぎる。

やがてバイパスを抜けて少しすると
言うだけで恥ずかしくなるような名前のホテルが見えてくる。
誰かに頼んだところここのホテルを予約してくれたのだ。

おおきに、おおきに、ありがとね 
と4回くらい言われてタクシーを降り、
ホテルに入るとフロントには身なりのぱりっとした
初老の男性が立っている。対応もぱりっとしている。

ロビーには古く、それでいて趣のある文学書が複数置いてある。
もしかしたらこのホテルは悪くないのかも知れない。
名前だけ、誰か間違ったセンスで付けてしまったのかも知れない。

そう思いながら3Fまでエレベーターで上がり部屋に入ると
またタバコの臭いだ。

私は昼間もタバコの臭いに耐えたというのに、またこれである。
他人に頼むとろくな事がない。
いつもの通り温水のシャワーを出しっぱなしにしてしばらく待つ。

部屋の空気が湿度と熱気で半分くらいに分かれてから
窓を開ける。空気が入れ替わる。しかし宿命的にこびりついた
タバコの臭いは疲れ切った頭を少しずつ圧迫する。
どうせなかなか眠れない。

こういったホテルのバスルームは驚くほど似ていて
デジャビュに悩まされる事になる。
しかしタオルだけはぱりっとしていて悪くない。

私は昼間現場で凍えながら仕事していたせいで
体中の節々が痛んだ。マッサージを頼みたかった。
しかしそんなものは午前1時には終わってしまっている。

そして空も見ずにまた眠る。
いずれにしたって、窓を開けても空なんか見えやしない。
繰り返しだ。