Haruki Murakami 村上春樹

中国で爆発的な人気らしい。村上春樹の翻訳本。
昨日読売新聞かどこかの夕刊の一面に出ていた。
ちょっと前には朝日新聞で1面使って、村上春樹を
3人がてんで勝手に分析をしていた。25周年で本の表紙が
新しくなったり、本屋の店頭にもたくさんならべてある。

最近村上春樹を徹底的に読み直しているのもあって、
ueDとよく村上春樹的なメールとかメッセのやりとりをしている。
つまり、

踊るんだよ
かっこう

とか書いてるわけだ。

村上春樹といえばちょっとだけ象徴的な思い出があって、
それはたぶん中学生くらいか、あるいは高校に入り立ての頃だ。
つまり6年とか7年前の話になる。
本当に興味がさほど無かったからのか、ほとんどと言っていいほど
細かい部分が思い出せない。

友人の父親の知り合いで、東大の教授がいて、その研究室を
訪問させてもらった。僕と、友人と、友人の父親と、
友人の父親の知り合いの女性(たしかクラスメイトだったと思う)と、
その娘。合計5人。

たぶん進路とか将来的なことを決めさせるのに良い機会だろう
ということで行ったような気がする。
僕の行っていた中学はそのまま高校に上がり、クラスの6人に1人が
東大に行くような学校だったので東大の研究室に行く、というのも
あながち現実味のない話ではないのだ。

しかしながら中学生にとっては大学の研究室なんて、
博物館くらいの興味しかない。教授にしたって博物館に展示してある
抽象画に対するくらいの興味しかない。

5人で教授の話を聞いて、(全くその内容は覚えていない)
その後だ。友人は中1にして村上春樹のハードカバーを教室で読んでいる
ようなとても進んだやつで、(僕にとってまずハードカバーは値段的に手が
届かなかった)僕はおおかたの村上春樹の作品を彼に借りたような
記憶がある。世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドしか知らなかった
のだが、風の歌を聴けから羊をめぐる冒険、ノルウェイの森とかそういった
一連の本を借りたか、あるいは存在を教えてもらったかした。

教授の研究と関係あったのか無かったのかわからないが、ふとその話題に
なった。友人と僕が村上春樹の作品が好きだ、と言った話題に。

そうしたら、友人の父親の知り合いの女性が言った。
「村上春樹の作品のいったいどこがいいの?ノルウェイの森読んだけど。
セックス描写?」

この瞬間、僕は正直に言って「ああ、この人は何にもわかってないんだ
本当に何にもわかってないんだ 何を説明しても無駄だろうしこれから先
わかることもない。大体中学生の男の子に対してそういうことを言うのは
恥ずかしくないんだろうか。この人は絶対に好きになれないな」
と感じた。そして何も言わなかった。いや、訂正すると言えなかった。

その時友人がどう感じたのかわからないけれど、とにかく僕には
そこに無力感とか、あきらめを感じざるを得なかった。

それからその友人の父親が、その知り合いの女性を
昔好きだったのだろうという事実をなんとなく知らされるうちに、
かなり気が滅入った。

そのあと渋谷に出て、みんなで夕飯を食べようということになった。
僕はbunnkamuraのおしゃれな、おいしいピザを出すイタリア料理
の店を知っていたので(その当時、中学生にしてはすごい事だと思う)
そこはどうかな、と提案してみた。しかしそれは受け入れられず、

教授のいきつけの飲み屋みたいなところに連れて行かされた。
そこの店は明らかに飲み屋だったし、ガード下のちょっと汚い店で
ますます気が滅入った。というのは僕は親に飲み屋というものに
連れて行かれた事が全く無く、そういった雰囲気になじめなかったのだ。
大体おなかが減っているのにおなかにたまる食べ物が出てこない。
つまみばかりなのだ。

そして鳥の刺身か何かがテーブルに出てきた頃、
小さなゴキブリが壁を這っているのを
発見して、もう本当に僕は絶望感を感じた。

とにかくその場は収まり、
おなかが減っていたのでだいぶその刺身なんかを
食べた記憶がある。あとになってそれは致命的だったと気づいても遅い。

そして帰りに、車で送ってもらった。
一方通行を避けるために遠回りしたのだけれど、
それを何か勘違いされたのか、友人の父親に咎められた。
もう説明する気も起きなかった。

数日後、僕はおなかを壊し熱が出て学校を数日間休んだ。
最初は全くわからなかったのだが、
よくよく調べてみると程度の差こそあれ、研究室に訪問した全員が
なんらかの吐き気などに見舞われていた。
明らかにゴキブリのいた店の料理が原因だった。

きっと厨房もおそろしく汚かったんだろうな。
おそろしく汚い手でおそろしく汚い包丁で、おそろしく汚いお皿に
刺身を盛っていたんだろう。そう思った。

親が電話をしたりして全員が同じような症状であることをつきとめ、
店に慰謝料の請求を申し出るという段になって、友人の父親と
その知り合いの女性は、教授に申し訳ないというような理由で
その食中毒を、まあ大したこと無かったんだしそこまでしなくても
いいんじゃないか、という話を持ってきた。

ここで僕はもう一度うんざり、本当にうんざりすることになった。
3日間くらい本当にものすごく熱と吐き気と腹痛にやられたのに、
この人達はいったい何を考えているのだろう、と思った。

結局1人3万円くらいの慰謝料を店からもらった。

そういうわけで、僕は後に会う女の子が村上春樹を読んで
あまりおもしろくないなという感想を言ったとき
少なからずショックを受けたわけだし、
消失感や村上春樹の作品を読んで感じるあらゆる感情・感覚が、
人によっては理解出来ないということにようやく気づき、

そのことは自分の感覚が人とは違うということ、
あるいは自分の感じていること≠他人の感じていること
自分≠他人という認識をはじめて知ることになり、
閉鎖的な精神世界から脱することにも繋がったのだ。と思っている。

まあなんというか、他人の創ったものに対して
文句を言ったり批評するのは、創ることよりも
数百倍、あるいは数万倍簡単なのだ。